それゆけ忍者
【自作小説】幸運をまねく奇跡の仔犬と忍者のヒューマン物語
第五章 その11
 沙也加と母親は黙って頭を深々とさげていた。
「夜分大変申し訳ございませんでした。本当にありがとうございました」
 丁重に奥さまがお礼を言うと、ラッキーは奥さまの腕からするりと抜け出して沙也加の膝に飛び乗った。
 みんなは驚いてラッキーを眺めていた。
 たまりかねた沙也加は、ラッキーを優しく振り払って奥さまに渡した。
「さあ、ラッキーお家へ帰りましょう」
 と言って抱っこした奥さまの顔が真っ青になった。
 ラッキーの目から涙が流れていた。
 奥さまは涙が溢れ嗚咽をこらえながら観念したように、優しくラッキーを畳に降ろした。
 ラッキーは奥さまの目をじっと見て「クーン・クーン」と鳴いてから、沙也加の側へ尻尾を振りながら行った。
 その光景をじっと見ていた大沢は、
「……沙也加さんには負けました」
 涙を流しながら呟いた。そして、
「なぁ……純子、ラッキーを沙也加さんに譲ろう。いいだろ?」
 奥さまは泣きながら頷いた。
「えっ、本当ですか、ありがとうございます。いくらで譲っていただけるんですか?」
 沙也加は素直に訊ねた。
 すると大沢は、
「ラッキーを助けてくれて、これだけかわいがってくれたお礼としてラッキーは沙也加さんに無償で差しあげます。そして、約束通り礼金として百万円は受け取ってもらはなくては困ります」
 誠実な態度ではっきり言い切った。
「ほ、本当にいいんですか?」
 沙也加は驚いて訊ねた。
「はいっ! 本当です。私たちはラッキーからお金では買えない大切な心を教えていただきました。どうかこれからはラッキーいや光チャンをよろしくお願いします。そして、一日も早くお母さまとお婆さまがお元気になられ、ご家族が幸せになられることを心から祈っています」
 それを聞いた瞬間、沙也加と母親は感激して大声で泣き出した。
 大沢の人情味あふれる光景を目の当たりにして、里香は大きな瞳から滝のように涙が溢れていた。江美は静かに閉じた両目から一筋の涙が頬を流れた。どんべえも「キューン・キューン」と感動して泣いていた。
 江美たちはそれぞれが複雑な気持ちで高橋宅を跡にした。
 車中、寂そうにしている妻に大沢は、
「純子ありがとう。今は寂しいだろうが、明日、わんランドに行って好きな仔犬を買ってきなさい」
「あなた、本当に良いんですか」
「もう、俺は心も体も元気になったから、健康のことは気を使わなくて良いから、純子が好きな仔犬を買ってきなさい」
「あなた、ありがとうございます」
「なぁ……純子、良いことをすればこんなに気持ちが晴れ晴れするとは……」
 大沢はそう言いながら朗らかに笑い出した。
 そして大沢はさわやかな口調で、
「江美さん、本当にありがとうございました。これからも忍術をよろしくお願いいたします」
「えっ、知っていたのですか?」
「ええ、城田からすべて聞きました」
「大沢さん、今夜はまったく忍術を使っていないですよ」
「そうなんですか……。まあ、俺にとっては忍術を使っても使わなくても、こんな素晴らしい結果になったことに心から感謝しています」
「大沢さん、ありがとうございます。これからもわんランドをご贔屓によろしくお願いします」
 狭い車中にさわやかな笑い声が響いた。

 了

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第五章 その10
「実は昨日、私の親友から仔犬の新聞広告の話を聞いたので、写メールで送ってもらって確認したら間違いなく、その仔犬と思ったんです。しかし連絡しようかすごく悩んで、今朝やっぱり連絡しようと決めていたんです。ですが、仔犬の光チャンはすごく家族に懐いているんです。光チャンがここに来てからお母さんとおばあちゃんがよく笑うようになって少しづつ元気になっているんです」
 奥さんは親身になって頷いていた。そして、
「お母さまとお婆さまは体が悪いのですか?」
「ええ、二人とも父のために心労が重なり体調を壊しているんです。母はまだ若いんですけど、とても働ける体力がないんです。だから、私ひとりが働いて家族を養っているんです」
「そうなんですか、ご苦労されているんですね。立ち入ったこと訊ねて申し訳ないんですが、もし差し支えなかったらお父様はどうされているんですか?」
 奥さまは遠慮気味に訊ねた。すると沙也加は、
「父は事業を失敗して借金を残して家出したんです」
「まあ、大変なんですね……」
 奥さま同情して悲しい表情になっていた。
「私の言いたいのは、家族を明るくしてくれる光チャンと一緒にいたいんです」
 と言って沙也加は泣き出してしまった。
 すると母親も一緒に泣き出した。
 大沢夫妻と江里は困惑した表情をして、しばらく黙っていた。
 この空気にたまりかねた里香は、
「実はね、沙也加さん。この仔犬は世界でも珍しい『幸運をまねく奇跡の犬』なんです。この犬が家庭にいると家族が元気になってどんどん栄えていくんですよ」
 と正直に説明した。
 しゃくりながら沙也加は、
「えっ、『幸運をまねく奇跡の犬』。そう言われると、本当にそうだと思います」
「だから、大沢ご夫妻も仔犬をすごく大切にされていたんです。沙也加さんのお気持ちはすごくわかるけど、どうか快くお返ししてもらえないでしょうか?」
 里香は仲介者の立場としてそう言わざるを得なかった。
「はいっ! わかりました。光チャンを起こして連れてきます」
 素直に納得した沙也加は二階へ上がった。
 しかし江美は、今ほんとうにこの仔犬が必要なのは大沢夫妻より沙也加の方だと心から思った。健気な沙也加の態度に深く感動して、何とかしてあげたい気持ちが込み上げて来た。
 しばらくすると沙也加は光チャンを抱っこして降りて来た。
「ラッキー、会いたかったわ」
 沙也加から受け取った奥さまは泣きながらラッキーを抱きしめた。
 大沢は深々と頭を下げて、
「本当にありがとうございました。心から感謝いたします。少ないですが礼金として百万円を受け取ってください」
 大沢はカバンから取り出してテーブルの上に置いた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第五章 その9
 午後十一時半、江美は里香とどんべえを伴って大沢邸へ迎えに行くと、夫妻で行くことになった。車中で大沢は江美に心から感謝していると言って、何度も頭を下げていた。
 当時は欲にかられて見境なく非人間的な行為をしていたことに、今となっては恥ずかしくて心から反省している。逮捕された元社長の城田に対して酷いことをして本当に申し訳なく思っている。城田の今後は責任を持って対応したい。また、罪が軽くなるよう弁護士にお願いしているとも語った。
 午前十二時過ぎ、高橋宅へ訪問するとすでに娘の沙也加が帰宅していた。
「こんばんわ、どうぞむさ苦しいところですが上がってください」
 母親に勧められて三人は六畳の和室に坐った。どんべえは玄関先で賢くお坐りしていた。
「沙也加、わんランドの服部江美さんが来られましたよ」
 母親は階段から二階へ大きな声で呼んだ。
 しばらくして沙也加は降りて来た。
「こんばんわ、始めまして娘の沙也加です」
「始めまして、私はペットショップわんランドの服部江美、こちらは仔犬の持ち主の大沢ご夫妻です」
 江美が紹介すると、大沢の奥さまが、
「沙也加さんこの度は、仔犬の命まで救っていただいて大変ありがとうございました」
 大沢も一緒に深々と頭をさげた。
 すると沙也加は、
「なぜ、ここがわかたんですか?」
 ちょっと不満そうな表情で言った。
「実は、そこにいるどんべえが仔犬とあなたを見付けたのよ」
 江美は玄関先のどんべえを指差して言った。
 それを見た沙也加は驚いて、
「あっ、昼間公園で出会ったわんチャンね」
 すると、どんべえは「ワン」と鳴いた。
「えっ、人間の話がわかるんですか?」
 沙也加は驚いて訊ねると、またどんべえは「ワン」と鳴いた。
 驚いている沙也加と母親に、江美はこの犬は忍者犬で人間の言葉がわかるんですと説明した。
 すると、沙也加と母親は目を合わせて「えっえっ」というような奇妙な表情をした。
「忍者犬どんべえ、ですか?」
「そうです。忍者村伊賀で厳しい修業をした忍者犬なんです」
 江美はきっぱり言った。
「ところで、沙也加さん仔犬のラッキーはどこにいるんですか?」
 と、心配そうに奥さまが訊ねた。
「今、二階で寝ています。連れて来る前に言って置きたいことがあるんですが……」
「何でしょうか?」
 奥さまは表情を曇らせて訊ねた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第五章 その8
「実は、ミニチュアダックスの仔犬のことなんです」
「ああ、光チャンのこと……が、どうしたの?」
「えっ、光チャンって?」
「ミニチュアダックスの仔犬のことよ」
「あっ、すみません。で、その光チャンをちょっと見せていただけないでしょうか」
 江美が訊ねると母親は気さくに、
「いいですよ、むさ苦しいところでよかったら、どうぞなかへ入ってください」
 江美は遠慮して玄関先でいいですから、ちょっと見せてもらうだけでと言った。
 母親は気さくに奥から光チャンを連れて来た。すると、光チャンは尻尾を振って大喜びした。
 怪訝に思った母親は、
「あれ、服部江美さんは光チャンを知っているんですか?」
「ええ、実はこの仔犬は誘拐されたんです」
 と言い終わらないうちに、母親は驚愕して、
「まさか、うちの娘が……」
「いいえ、誘拐されてから逃げて迷子になってしまったんです」
「そうなんですか。実は二週間くらい前の豪雨の時、この光チャンが死にそうになっていたところを娘が助けたんですよ」
「そうだったんですか。本当にありがとうございました」
「いいえ、とんでもございません」
「実はこの前、新聞広告に仔犬のことを載せて、礼金として百万円をお渡しすることになっているんです」
「えっ、百万円」
 母親は驚いて叫んだ。そして、
「新聞を取ってないもんですから、まったく知りませんでした」
「そうだったんですか……で、娘さんは?」
「今、仕事に行っています。帰って来るのは午前十二時くらいと思うんですが」
「そうなんですか、助けてもらった娘さんにお礼も言わずに、仔犬を引き取る訳にはいきませんので、午前十二時頃、こちらへお邪魔してもいいでしょうか?」
「そんな遅くにいいんですか?」
「ええ、そちらさえよろしければウチは構いません」
「わかりました。そのように娘に伝えておきます」
 丁重にお礼を言って高橋宅を出た江美は大喜びして、大沢の奥さまに電話してこの状況を伝えると、
「良かった……江美さん、本当にありがとうございました」
 奥さまは涙声で感激しているのがよくわかった。
「遅いですけど午前十二時は奥さまはどうされますか?」
「もちろん、一緒にお邪魔させてください。礼金もその時お渡ししますから」
「そうですか、そしたら午後十一時半にそちらへお迎えに参りますので、よろしくお願いいたします」
 奥さまは何度も受話器にお辞儀をして、静かに電話を切った。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第五章 その7
 公園に入ると甘いジャスミンの香りが鼻を撫でた。植え込みには濃いピンクのつつじの花が満開に咲いていた。光チャンは草や土の匂いを嗅いたり、おしっこをしたりして大喜びしている。
 歩きながら沙也加はしみじみ考えた。嵐のような一年が過ぎ、あと半年もすれば借金の返済も終わる。カラダは汚れても洗い流したら綺麗になる。しかし心まで汚れたら取り返しがつかない。光チャンのことを知った以上は、きっちりしてあげないと自分自身が駄目になるような気がした。
 遠くから黒い雑種のおもしろい顔をした犬が近づいて来た。野良犬かと思った沙也加はまったく知らないが、その犬はどんべえだった。どんべえは尻尾を激しく振りながら「クン・クン」と鳴きながら、光チャンに近づいた。すると、光チャンは大喜びしてどんべえに戯れついた。
 その光景を見ていた沙也加は首を傾けて(なんで……こんなに喜ぶのだろ?)と、不思議に思った。
 沙也加は出勤時間が迫ったので急いで公園を出て自宅へ向かった。
 うしろから尻尾を振りながらどんべえが付いて来ていた。(おかしな犬だわ……)と思いながら自宅へ光チャンを入れて、早足で歩いてタクシーを拾って遊廓へ向かった。
 どんべえは大喜びしてペットショップわんランドの江里の元へ疾走した。しばらくして、ハアハアしながら江里のところへやって来たどんべえは、
「ワン・ワン・ワン……ラッキーみつかったよ」
「えっ、見付かったの、よくやったわね」
 江里はどんべえの頭を優しく撫でながら、
「で、どこにいるの?」
「クン・クン……ぼくについてきてよ、おしえるから」
「わかったは、さあ行きましょう」
 江里はワゴン車に飛び乗り走り出した。
 どんべえは歩道を走ってワゴン車を誘導した。しばらく走って大国町の外れでどんべえは止まった。
 ワゴン車を近くの駐車場に止めて、どんべえのあとを歩いた。数百メートル歩くと古い二階建ての家の前でどんべえはお坐りした。
「どんべえ、ここなの?」
 どんべえは頭を上下に振って答えた。
「こんにちは、おじゃまします」
 江美は玄関の引き戸を少し開けて大きな声で言った。
「はい、どちら様ですか?」
 沙也加の母親がかすれた声で訊ねた。
「私は、ペットショップわんランドの服部江美と申します。突然で失礼とは存じますがちょっとお訊ねしたいことがあって寄せていただきました」
「ペットショップの……服部江美さん? 何でしょうか?」
 母親はちょっと首を傾げて訊ねた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第五章 その6
「そうよ、だから相当大切な仔犬だなと思って、印象に残っているの」
「ねえ、祐子どうしたらいいかな?」
「確か、連絡先も書いてあったと思うけど……、思いだせないわ。それか警察に届けでするかよ」
「でも……光チャンすごく懐いてくれて、めちゃかわいいから……」
「沙也加、何を考えているの? もしかして……」
 祐子は沙也加の大きな瞳を見つめて言った。
 すると沙也加は、
「そう。知らなかったことにすれば、どうかしら?」
「えっ、まだそうだとは決っていないんだから、連絡だけでもしてみたら。もし、そうだったら百万円貰えるんだよ」
 祐子は真剣な表情をして応えた。
「今は、百万円より光チャンの方がいいもん」
「えっ、百万円よ」
「だって、光チャンが家に来てから、お母さんとおばあちゃん明るくなって少し元気なったように思うもん」
「そうなの……」
「ねえ、祐子。その新聞広告を写メールで送ってくれない。それを見てじっくり考えさせてほしいの」
「わかった。家に帰ったらすぐ送るからね」
 祐子はそう言って、しばらく雑談して自宅へ帰ると、さっそく新聞広告の写メールを沙也加に送信した。
 沙也加は送られてきた写メールを拡大しながら読んだ。小さな仔犬のモノクロ写真も載っていた。側で寝ころんでいる光チャンと写真を見比べるとやはり光チャンそっくりだった。連絡先はペットショップわんランドの電話番号が書いてあった。
 沙也加は連絡しようか迷いながら、じっと光チャンを眺めている沙也加の目から涙が流れた。とりあえず一晩考えてから、明日結論をだそうと思った。
 翌朝、沙也加は顔に快感が走って目を醒ました。気がつくと光チャンが小さな舌でペロペロ舐めてくれていた。沙也加は優しく「光チャンおはよう」と声をかけると大喜びして戯れついた。
 沙也加は光チャンが愛おしくてたまらなくギューと抱きしめた。(でもやっぱり、連絡して持ち主に返してあげよう)と、思ったら涙が止まらなくなった。
 しばらくして、光ちゃんと一緒に浴室に入って全身をきれいに洗ってあげた。浴室から出て光チャンをバスタオルで拭いてあげると、大喜びして狭いキッチンへ行って食事を作っていた母親の足元で戯れ回っていた。
 そして、祖母のところへ走って行って戯れついていた。祖母はこぼれるような笑顔で光チャンと遊んでいた。
それを眺めていた沙也加は、喉まで出かかっていた新聞広告の話ができなくなった。
 昼過ぎ、沙也加は出勤前に初めて光チャンと近くの公園に散歩へ行った。もう光チャンとお別れだと思うのだが、家族のことを考えると諦めきれない。悶々とした気持ちを振り払うために一緒に散歩がしたくなった。小さな白い雲がゆっくり流れる青空は、沙也加の心と正反対のように爽やかだった。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第五章 その5
 ある日、沙也加は仕事が休みだったので昼から光チャンとゆっくり過ごしていた。親友の祐子から電話が入って、今夜、家へ遊びに来ることになった。蒸し暑い夜になったが、夜空には美しい満月が煌々と輝いていた。
「こんばんは、おじゃまします」
「あら、祐子ちゃん久しぶり、お元気そうね」
 沙也加の母親は嬉しそうに笑顔であいさつした。
「おばさん、体調はいかがですか?」
「ありがとう、ぼちぼちなのよ」
「お大事にしてくださいね」
 祐子は高校時代よくこの家に遊びに来ていた頃から沙也加の母親は体調を崩したので、祐子は母親の体を気づかっていた。
「ねえ、祐子、私の部屋においでよ。かわいい仔犬を見せてあげるから」
 沙也加に誘われて祐子は二階へ上がった。光チャンは祐子を見て少し怖がって隠れてしまった。沙也加が呼ぶと大喜びして尻尾を振って近づいて来た。
 祐子は光チャンを眺めて、
「わあー、かわいいね。毛が黄金でキラキラ輝いてる……光チャン始めまして、祐子です」
 と言いながら、優しく頭を撫でた。
 光チャンは祐子の優しさに安心したのか尻尾を振っていた。
「ねえ、ところで、こんな珍しいミニチュアダックスの仔犬どこで買ったの?」
 祐子は不思議な表情をして沙也加に訊ねた。
「買ったんじゃないの、拾ったのよ」
「えっ、拾ったの……どこで?」
「十日くらい前の豪雨の時、飛田新地の遊廓の前でよ」
 と言って、その時の状況を少し話した。
「十日前か……、飛田新地って新世界は近いよね?」
「うん、それがどうしたの?」
「沙也加、新聞見てない?」
「家で新聞とっていないから、見てないよ」
「そうか……実は、最近の新聞広告で見たんだけど光チャンにそっくりな仔犬が誘拐されたんだって、それで、仔犬は逃げて行方不明になってるんだって」
「えっ、誘拐されて行方不明」
 沙也加は驚いて半オクターブ高い声で言った。
「それがね、新世界での事件だったのよ」
「新世界で……」
「そうよ、もしかして……この仔犬がそうかもしれないよ」
「そんな……」
 沙也加は今にも泣き出しそうな表情になって呟いた。
「で、ね、見付けた人に礼金百万円をあげるって書いてあったわよ」
「百万円も……」

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第五章 その4
 ラッキーが誘拐された日から一週間が過ぎた。テレビのニュースも効果はなく、警察にはまったく目撃情報は入ってこなかった。警察官の中村と鈴木は誘拐犯を逮捕したことで役目は終わっていた。しかし、時間をつくってラッキーの捜査をしてくれていた。
 江美もお婆さんに変装して、どんべえと一緒に何度か新世界やあいりん地区周辺を捜査していたが、煙のように消えてしまったラッキーを捜し出すことはできなかった。
 大沢邸の奥さまは、ラッキーがいなくなってから寂しい日々を過ごしていた。しかし毎日、近所のかわいい子どもたちがラッキーを心配して訪ねてくれていた。子どもたちと話することが寂しさを紛らすせめてもの救いだった。
 夕方、仕事から帰って来た大沢は元気のない妻の姿を見て、
「純子、顔色が悪いなぁ、ほんま大丈夫か?」
「ええ……大丈夫よ。でも、ラッキーがどうしているか考えるだけで心が痛むんです」
「そうか、俺のせいでこんなことになって申し訳ない」
 大沢は初めて妻に頭をさげた。
 城田が逮捕されて参考人として警察に行ってから、人が変わったように優しくなってきていた。
 妻は慌てて、
「あなた、私が不注意で誘拐されたんですから、こちらこそ申し訳ございませんでした」
 主人の優しさに感激しながら謝った。
「なあ、純子。新聞広告にラッキーのこと載せようか、礼金を百万円くらいつけたら少しは効果あるんじゃあないかと思っているんだ」
「えっ、そこまで考えてくれているんですか?」
「うん。純子が俺の健康を願って買ったラッキーだから、俺も純子の誠意に応えたいんだ」
「あなた、ありがとうございます」
 妻は咽び泣きながら感謝した。
 二日後、四紙の大阪版の新聞に「仔犬を捜してください」のタイトルで行案内広告が載った。
 その広告を見た江美と里香は祈るような気持ちで情報を心待ちにしていた。礼金百万円の効果もあって、さまざまな情報が連絡窓口に寄せられた。
 しかし、残念ながら有力な情報は何ひとつなかった。
 江美は最後の望みをかけてどんべえに新世界やあいりん地区以外の周辺地域を捜査するように指示した。どんべえは早朝か夜遅くまで毎日、日課のように捜査に走り回っていた。
 ある日の夜八時頃、どんべえは悲しい顔をしてペットショップわんランドへ帰って来た。
 それを見た江美は、
「どんべえ、お疲れ様。あら、どうしたの元気ないじゃあないの?」
「クン・クン……ラッキーどこにいるのか全然わからないんだ」
「公園はもちろん回ってるわよね」
「ワン……公園を見付けたら隅々まで匂い嗅いてるんだよ」
「でも、わからないのね。ほんとおかしいわね」
「クン・クン……散歩に連れて行ってもらっていないのかなぁ」
「そうね、きっと散歩に行くこともあると思うんだけど……」
「ワン……そうだよねきっと散歩するよね」
「ねえ、どんべえ。大変だけどもうちょっと続けて捜査してね」
「ワン・ワン」
 江美は優しくどんべえの頭を撫でながら、好物のビーフジャーキーを口の中に入れてあげた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第五章 その3
「そうよ、最近は繁盛していて建物も綺麗になっているんだって」
「私、雑誌で見たことあるわ。エイズや性病の検査も厳しいって書いてあったわ」
 と、沙也加は大きな瞳を輝かせて言った。
「会社の先輩も言ってたわ、コンドームするから衛生的だって」
「ふーん、そしたらうつされる心配もないわね」
「そうよ、会社の先輩は安心して欲求不満を解消できるって喜んでいたわ」
「ふーん、男性に喜んでもらえる仕事なんだね」
 沙也加はこぼれるような笑を浮かべた。
 そんなことで、一年前から沙也加は飛田遊廓で働くようになった。
 今では稼ぎが良く、すでに借金は半分以上返済していた。しかし、こんな状況の生活だから、沙也加は仔犬を連れて帰って来たことを家族に言いにくかった。
 仔犬を飼うなんて、生活に余裕のある人たちのすることだと、うしろめたい気持ちもあったからだ。
 食事を済ませた仔犬は少し元気になって部屋をウロウロしながら「クン・クン」「ワン・ワン」と鳴いて、沙也加をハラハラさせた。
 しばらく考え込んだ沙也加はいつまでも仔犬を隠し通せる訳でもないと観念して、仔犬を抱いて階段を降りた。
「ねえ、お母さん、仔犬飼っていい?」
「あら、沙也加その仔犬どうしたの?」
「昨日、働きに行く途中で雨に濡れて死にそうになっているところをかわいそうだから助けてあげたの」
 沙也加はちょっとオーバーに言ったが嘘ではなかった。
「そうなの、沙也加が飼いたいなら、お母さんはいいですよ。ねえ、おばあちゃんもいいわね」
 横になっていた祖母に母親は訊ねると祖母は小さく頷いた。
 母親と祖母は沙也加が愚痴も言わず家族のために一生懸命に働いてくれることに心から感謝していたので、沙也加の好きなようにさせてあげたかった。
「沙也加、ちょっと仔犬だっこさせてよ」
 母親はこぼれるよな笑顔で仔犬を抱いた。
 沙也加はこんな笑顔の母親の顔を久しぶりに見て嬉しかった。
「わあー、すごくかわいい仔犬だわね……」
 母親は仔犬に頬ずりしながら嬉しそうに笑った。
「ねえ、お母さん、このわんチャンは雄なんだけど名前なんてつけようか?」
「そうね、こんなに毛がキラキラ光っているから……『光(こう)チャン』はどうかしら」
「『光チャン』か、いい名前だわ。じゃあ決定するね」
 沙也加は可愛く微笑んで、光チャン、光チャンと何度も仔犬に呼びかけた。光チャンは尻尾を振って大喜びしていた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第五章 その2
 沙也加はしばらく考えてから、
「キャバクラのお店をテレビで観たことあるんだけど、ホステスはお客さんに毎日五十通くらいメール交換しているらしいよ。それから、お客さんに口説かれることも多いそうだよ。私はとてもじゃないけどできないよ」
「沙也加、それは人気のあるホステスの話だよね」
「そうだけど、働いたらそれくらいしないと続かないのと違う?」
「そうね、沙也加が借金を返すまで二〜三年はかかるよね……」
 祐子は深刻な顔になった。
「でも……カラダを売ることならできると思うの」
「えっ、沙也加。大胆なこと言うわね」
「それだったら、あんまり会話しないでサービスだけしてたらいいじゃない」
「確かに、そうだけど……」
「それに私、セックスなら自信あるよ」
「沙也加はエロかわいいところあるけど、そんなに自信あるの?」
「うん。短大の時、付き合っていた彼のためにエロ雑誌でいろいろ勉強したの。そしたら、彼から床上手だって誉められたのよ」
「へえー、沙也加は床上手なの……」
 祐子は素直に感心しながら呟いた。
「だって、自分の力で大切なお母さんとおばあちゃんを安心させてあげたいの。今ならまだ若いしカラダを武器にできるんじゃない。借金済んだら普通の仕事に戻ったらいいことだし」
 女性が本気になって腹をくくれば男性より遥に大胆かも知れない。
 そんな沙也加を見つめながら祐子は、
「沙也加ほんとにそう思ってるの?」
「ええ、今の私にできることは、これしかないと思っているの」
 沙也加は大きな瞳を輝かせて答えた。
 そして、祐子に訊ねた。
「ねえ、カラダを武器にしてどこか安心して働けるところないかしら?」
「えっ、それは沙也加の方が詳しいんじゃないの?」
「スポーツ新聞に風俗の求人広告載っているの見たけど、なんかちゃらちゃらしてピンとこないのよね」
 沙也加は昔の吉原のようなきらびやかな遊女のイメージが頭の隅に残っていた。
 祐子はしばらく考えてから、
「私、会社の先輩に聞いた話なんだけど、飛田遊廓に若くてかわいい女の子が一杯いるって……」
「えっ、飛田遊廓。あの新世界の近くにある遊廓?」

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第五章 その1
 翌朝十時、いつもより早起きした沙也加は、赤いジャージ姿で自転車に乗って、近くのペットショップ店へ、仔犬のために色々揃えるものを買いに行った。首輪、リード、簡易トイレ、ドックフード、ビーフジャッキーやおもちゃなど思いつくまま購入した。
 自宅へ帰った沙也加は大きな袋を両手にかかえて、こっそり階段を上がって二階にある自分の部屋に入った。バスタオルにくるまった仔犬を見ると、ぐったりして疲れているようだった。昨日の豪雨のなかを歩き回って体が冷えたのかもしれない。沙也加は小さな美しい手の平で仔犬の頭を優しく撫でながら、
「わんチャン、大丈夫? しんどいの?」
 と、ささやいた。
 仔犬は沙也加の顔をじっと見つめていた。
(なんて愛らしいわんチャンかしら……)と、思いながら、買って来た仔犬用のドックフードを容器に入れて、「待て」と言いながら置くと、仔犬はゆっくりお坐りして尻尾を振った。「よし」とささやくと、仔犬は大喜びして食べ出したので、沙也加は少しホッとした。
 大国町の外れにある沙也加の自宅は古い二階建ての小さな家だった。家族は母親と祖母の三人暮らし、父は一年前、小さな事業が失敗して七百万の借金を残して家出してしまった。その借金は小さなサラ金業者からのものばかりで取り立てが厳しく、たちまち家族は借金地獄に落とされた。
 おまけに母親は病弱で家事をするのがやっと、とても働きに行ける体力はなかった。祖母も高齢であっちこっちが痛いと言っては病院に通っていた。
 父が家出したのは、沙也加は短大を卒業して信用金庫に就職した矢先だった。月々の借金返済が三十万円ということで、とても信用金庫の給与では生活できない状況になってしまった。
 沙也加は悩んだ末、自分の力でなんとしても借金を返済し、母親と祖母を安心して暮らせるようにしたいと考えた。
 沙也加は高校時代の親友に、どうしたら六十万円以上稼げるか相談した。
 親友の祐子は、沙也加の事情を聞くと驚いて、
「そんなお金稼ぐの普通の会社なら不可能だよね……どうしたらいいかな」
 と呟きながら考え込んだ。
 すると、沙也加は冗談でも言うように、
「風俗でもしないと駄目かなぁ……」
「えっ、沙也加そこまで考えているの……」
 祐子は少し驚いたように言ってから、
「キャバクラだったらそれくらい稼げるんじゃない」
 と、勧めてくれたが、沙也加は見かけは派手に見えるが内向性だから、お店で知らない男性と気の利いた会話を何時間もすることは、とてもできないと考えていた。
「私、そんなちゃらちゃらした会話するの大嫌いなの」
「沙也加の性格よくわかってるけど、それしかないのと違う……?」
 祐子は表情を曇らせて訊ねた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第四章 その13
「そうよ、ものすごく平和を愛してるわよ。平和を願うからこそ厳しい忍法の修業をして、正義のために悪を懲らしめているのよ」
「だから、江美ちゃんは怖いけど優しいところもあるんですね」
「怖いけど優しいところもって、どういう意味なの杉田店長?」
 江美は店長を睨みつけて言った。すると店長は頭を掻きながら優しいけど怖いところもあると言い直した。
「そうよ、本心はすごく優しいのよ。でも悪に対しては徹底して厳しく立ち向かっているだけよ」
 とキッパリ言った。
 そして店長の目を見つめてこぼれるような笑顔で、
「えねーわかるでしょう、杉田店長」
 今度は誘惑するような甘えた声でささやいた。
 店長はそんなおちゃめな江美が大好きだった。しかし、会社の社長の一人娘とあって正直な自分の気持ちを表現するのは遠慮していた。
「そうだ、江美さん。わたし鈴木君から付き合ってくれって告白されたの」
「えっ! で、里香ちゃんは何て答えたの?」
「もちろんOKしたわ」
 里香はこぼれるような笑顔で応えた。
「良かったわね。ウチなんか、おもしろい中村君から冗談みたいにデートしょうって言われるだけだから、どこまで真剣なんだかちっともわからないわ」
「へえー、二人とも恋が始まったのか……羨ましいな」
 と店長が呟いた。
 すると、江美は店長を見て、
「杉田店長も恋している人いるんでしょう?」
「まぁ……いないこともないですが……片思いですから……」
「へえー、片思いなの。じれったいわね……早く告白しなさいよ」
 江美がからかいながら言うと、店長は年甲斐もなく下を向いてしまった。
 三人はしばらくこんな感じで雑談していると、あっという間に午後十一時になった。
 テレビでは長いコマーシャルのあとニュースが始まった。最初に仔犬の誘拐事件を放送された。女性のアナウンサーは誘拐されたミニチュアダックスAZの誘拐犯人は大阪の新世界で逮捕された。犯人はソフト開発会社の元社長の城田幸雄・五十三歳、大沢さんに恨みをい抱いていたと思われます。しかし、誘拐された仔犬のラッキーは逃げて行方不明になったそうです。
 ラッキーに心当たりのある方は最寄りの警察まで通報してください……。最後に、ラッキーの特徴が説明されると画面にラッキーの写真が映った。
 その頃、ラッキーを助けた沙也加は、遊廓の二階の部屋でお客さんに抱かれ激しい恍惚の坩堝のなかにいた。
 一階にいたおかみさんは売上の集計でそろばんを忙しくはじいていた。
 午前十二時前、沙也加は忙しい仕事を終えると疲れ切った体を引きづり、仔犬を連れてタクシーで大国町の自宅へ帰った。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

第四章 その12
 そして、真っ赤にした目を見開いて、
「江美さん、里香さん、ご迷惑をおかけして本当に申し訳ございません」
「迷惑だなんて、とんでもないです。このような事件もアフターサービスだと思って取り組んでいますから、ご心配はご無用にしてください」
「本当に何から何まで、ありがとうございます」
「奥さま、じゃあこれで失礼いたします。何かありましたらすぐ電話してください」
 江美はそう言って大沢邸を跡にした。
 午後十時前、江美たちはわんランドへ戻ると、店長はテレビを観ながら待ってくれていた。
「お疲れ様でした。江美ちゃん、早朝から本当にご苦労さまでした」
「あーあ、久しぶりによく働いたから疲れたわ」
 江美はそう言いながらソファーに腰を落とした。
「杉田店長も遅くまでご苦労さまです。ところでニュースは?」
「おそらく午後十一時のニュースで流してくれると思うんですが……」
 給湯室から里香はコーヒーを持って来て、
「はい、お疲れ様でした」
 と言いながら笑顔でテーブルに置いた。
「ありがとう。里香ちゃんも疲れたでしょう、もう帰っていいわよ」
 江美はコーヒーにミルクを注ぎスプーンで混ぜながら言った。
「はい、でも心配だからもう少しいます」
 そう言いながら里香はゆっくりソファーに腰を降ろした。
「江美さん、鈴木君に聴いたんですけど、誘拐犯の城田を捕まえる時、めちゃすごかったんですね」
「えっ、何を聴いたの?」
「江美さんの姿はまるで漫画の忍者を見ているようで、めちゃめちゃ強かったって……」
「ふーん、そういえば鈴木君、びっくりしたような顔して見てたわね」
「誘拐犯も強かったので、もし鈴木君と中村君の二人だったら、逃げられていたって……」
「そうかも知れないわね。城田は空手四段だから相当強かったわよ」
「私も江美さんの闘っているところ見たかったわ」
 里香がそう言うと、側で聴いていた店長もコーヒーを一口飲んでから、
「俺も江美ちゃんの勇姿を見たかったなぁ……」
 顎に手をあてて呟いた。
「ウチの本心はあんまり忍法を使いたくないのよ。でも世間では仕方なく使うことが多いわね。早く忍法なんて使わなくてもいい平和な時代になってほしいわ」
「へえー、江美さんは平和主義者なんですね」
 里香はちょっと以外な顔をして言った。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第四章 その11
 ラッキーがそんなことになっているとは知らない江美たちは、ラッキーの手掛かりさえ見付けることもできず、がっかりしながら午後八時に捜索を打ち切って解散した。その頃にはすっかり雨もあがり夜空には星が瞬いていた。
 江美と里香は急いで大沢宅を訪れた。
 心配していた奥さまに今日の状況を詳しく話すると、落胆して涙を流しながら、
「誘拐犯は捕まっても、ラッキーがいなかったなんてすごくショックだわ」
「ええ、ウチもショックです」
「江美さん、ラッキーは大丈夫でしょうか?」
「ええ、きっと大丈夫ですよ。誰かに救われたんじゃあないかと思います」
「そうだったらいいんですが……」
「奥さま、ラッキーが誘拐されて逃げ出したことをテレビのニュースで取り上げてもらうように、杉田店長に頼んでみます」
「テレビのニュースで放映……?」
「ええ、前回も幸運をもたらす奇跡の仔犬として放映されたんです。それからオークションも少し紹介してくれたんですよ。だから、そのテレビ局にお願いすれば、きっとニュースで取り上げてくれると思いますよ」
「そうだったんですか。すべて江美さんにお任せしますから、よろしくお願いいたします」
「わかりました。ちょっと失礼して店長に電話してきます」
 しばらくして、おそらく深夜か明日の朝には、ニュースとして扱ってくれるだろうと店長から連絡があった。江美はラッキーが帰って来るかもしれないと思い、奥さまに庭の照明を一晩中灯してください。とお願いしした。そして、ちょっと躊躇って、
「実は誘拐犯のことなんですが、ご主人をすごく恨んでいる壮年だったんです」
「えっ、主人を恨んでいる?」
「ええ、犯人はソフト開発会社の元社長の城田幸雄というんです。ご主人が半年前にその会社を買収したんですよ。その状況を詳しく調べたところ、どうもご主人が城田を騙して乗っ取りをしたような事実があるんです」
「えっ、騙して乗っ取りを……。それで……」
 奥さまは青ざめた顔になって呟いた。すかさず江美は、
「奥さま、それで……ということは、何か心当たりがあるんですか?」
「ええ、主人は半年くらい前から夜も熟睡できなくなって体調を崩し、人が変わったように無口になってしまったのよ。私は心配で心を痛めていたところ、仔犬のことをテレビで知ってペットショップわんランドへ行ったのよ」
 奥さまは小声でささやくようにそう言った。
「そうだったんですか。それでご主人の健康が気になるとおっしゃていたんですか」
 江美は同情するように表情を曇らせた。
「ねえ、江美さん。主人は逮捕されるんでしょうか?」
「そこまでは、ウチもわからないです。しかし、二・三日後には参考人として呼ばれるんじゃないかと思います」
「そうなんですか……」
「きっと、ご主人も城田さんと会って話しをすれば後悔すると思いますよ」
「そうだと、いいんですが……」
「奥さま、ご主人にこれだけは伝えてください。『他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない』って」
「『他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない』ですね、ありがとうございます」
 奥さまは感激して涙を流しながら深々と頭を下げた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第四章 その10
 その頃、ラッキーはずぶ濡れになりながら飛田遊廓をうろついていた。午前中は人通りが少なかったが、昼過ぎからぽつぽつ通行人が現れて来た。遊廓がずらりと左右に並ぶ通りで、一人の小柄な若い女性が傘をさして歩いていた。豪雨のため視界は悪いが、交差点からミニチュアダックスの仔犬がフラフラ歩いて来るのがぼんやり見えた。若い女性は小走りに仔犬に駆け寄り、しゃがみ込んで傘を差し出して、
「あら、どうしたのわんチャン」
 天使のような美しい声で優しく訊ねた。
 仔犬はその若い女性の顔を見て、尻尾を力なく振って「クーン・クーン」と鳴きながら、体を足元へ近づけて来た。若い女性はずぶ濡れの仔犬の頭を優しく撫でながら、
「こんなに濡れてかわいそうに、わんチャンのお家はどこなの?」
 若い女性はハンカチで仔犬の体を拭きながら訊ねると、仔犬は若い女性に甘えるように戯れついた。
(なんてかわいい仔犬かしら……)と思いながら、抱き上げると小さな舌でペロペロと若い女性の顔を舐めた。
 若い女性はまるで赤ちゃんを抱き締めるように、優しくギュッと仔犬を抱いたまま、斜め向かいの遊廓に入った。
「おはようございます」
「おはよう、あら、沙也加ちゃん、その仔犬どうしたの?」
「すぐそこの交差点にいてたの、どうも捨てられたか迷子になったようなの……」
「かわいそうに、ずぶ濡れじゃあないか、バスタオルで拭いてあげなさいよ」
 おかみさんは沙也加にそう言いながら、奥からバスタオルを持って来た。
 沙也加は仔犬の全身を丁寧に拭きながら、
「このわんチャン、毛が黄金に輝いてるわ……」
「あらまぁ、ほんとキラキラと黄金に光っているわね。珍しいミニチュアダックスだわね」
「でも、こんな珍しいわんチャンが、どうして……? 天から降って来たのかしら?」
「まさか、そりゃないでしょうけど。ねえ、沙也加ちゃん、わんチャンお腹空いてるんじゃないかしら?」
「そうかもしれないわ。歩き方がフラフラだったから」
 おかみさんは、奥から牛乳を入れた容器を持って来て、仔犬の前に置いた。すると仔犬はお坐りして舌を出して欲しそうに牛乳を見つめている。
 おかみさんと沙也加は目を合わせて首を傾けた。
 沙也加は何気なく、容器を持ちあげて降ろす時「よし」と言った。すると、仔犬は尻尾を激しく振りながら夢中で牛乳を飲み出した。あっという間にたいらげてしまった。
 いつまでも空になった容器を舐めているのを見ていた沙也加は、
「あの……パンはないですか?」
「食パンならあるわよ」
 おかみさんはそう言いながら奥から食パンと牛乳を持って来た。
 沙也加は容器に食パンを細かくちぎって入れ牛乳をかけた。
 そして、「待て」と言って容器を置くと、仔犬はお坐りして待っていた。
「よし」と言うと、大喜びして食べ出した。
「沙也加ちゃん、この仔犬きっちり『しつけ』してあるわね」
 おかみさんは感心しながら言った。
「ええ、『しつけ』しているということは、きっと捨犬じゃあないわね」
 寂しそうに沙也加は小声で言った。
 沙也加は家庭の事情で月々まとまったお金が必要だったので、一年前からこの遊廓で働いていた。
 小顔で瞳は大きく人形のようにかわいい、体は小柄だが、乳房とお尻が大きく腰は細く引き締まっていた。性格も優しく良く気がついて男性に奉仕的だったので、今ではこの遊廓界隈では人気ナンバーワンになっていた。やって来るお客さんは、沙也加のことをエロかわいい女性として贔屓にしていた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第四章 その9
 鈴木は平気な顔をしていたが、里香はむかついて仕方がなかった。
「ねえ鈴木君、今のお客さんの言葉に腹立たないの?」
「別に何とも思わないよ」
「えーえ、だってあきらかに軽蔑したような言葉でしょう」
「世の中には、警官を馬鹿にしたり毛嫌いしたりする人も結構いるんだよ」
「ふーん……」
 里香はそれでも納得できない表情をして呟いた。
「僕も警官になりたては里香ちゃんのように怒ったけど……、いちいちそんな言動に怒っていたら切りがないと思い直したら、もう平気になったんだ」
「そうなんだ」
「里香ちゃん、もうパチンコ店での聞き込みは止めようか?」
「えっ、どうして?」
 里香が訊ねると、鈴木はお客さんはパチンコに夢中で、他人のことには関心がないような人が多いから……。とりあえず、新世界の街を巡回しながら捜索した方が効率がいいと思う、と答えた。
「そうね、里香も同感だよ」
 同年代の二人は何かと相性が合った。まるでデートをしているような気分で楽しく捜査をしていた。
 二人は人通りの少ない場所に来た時、鈴木が突然振り向いて、
「里香ちゃん、彼氏いるんですか?」
「いいえ、今はいません」
 それを聞いた鈴木は緊張した表情で、
「そしたら……あの……実は……」
 と言いながら、次の言葉が出ない。
「どうしたの? 鈴木君」
 里香はこぼれるような笑顔で訊ねた。
 その笑顔を見た鈴木は勇気を振り絞って、
「里香ちゃん、俺と付き合ってくれませんか?」
 と言った鈴木の顔は真っ赤になっていた。
 里香は、そんな予感がしていたので笑顔で、
「いいわよ、嬉しいわ。ありがとうございます」
「あーあ、良かった。こちらこそ、ありがとうございます」
 鈴木は子どものよう含羞んで言った。そして、溌剌と捜査を始めた。
 どんべえは人間が通れない都会の獣道のような狭い路地や隙間を嗅ぎ回って捜査していた。しかし、豪雨のためラッキーの匂いが流されているので、どんべえの鋭い嗅覚でさえも役に立たなくなっていた。まったくラッキーの形跡すら見付けることができず街を彷徨っていた。
 江美から無線が入ると、どんべえは耳をピクピク動かして、
「クーン……まったくわからない」と、言うように鳴くしかなかった。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第四章 その8
 中村は、憧れの江美と二人っきりで行動しているので、無邪気な少年のようにうきうきしていた。
(このままずっとラッキーが見付からなかったらいいのに……)などと、不謹慎なことを思いながら捜査していた。
 それを鋭く見抜いた江美は、
「中村君、もっと真剣に捜査してよ。どうも心が舞い上がっているように感じるわ」
 ドッキとした中村は、(江美さんは人の心まで鋭く見透かしている。油断ならない女性だ……)と、関心しながら、
「どうもすんまへん。江美さんと一緒やから、もうドキドキして……」
「そうなの、中村君って純情なのね」
 そう言いながら、江美はクスクス笑い出した。
「もーう江美さん、からかわんといてください」
 中村は頭を掻きながら照れていた。
「中村君、その照れた顔がめちゃかわいいわ……」
「江美さん、堪忍してえや……。真剣に捜査しますさかい」
「わかったわ、ごめんなさいね。でも、これが解決すれば一緒に飲みに行こうね」
「えっ、ほんまでっか?」
「本当よ、中村君すごく頑張ってくれているから……。この前、言ったこと忘れていないわよ」
 江美はこぼれるような笑顔で応えた。
 それから、中村は人が変わったように真剣に聞込みを始めた。
 道行く人たちに手当たり次第、ラッキーの写真を見せて訊ねていた。しかし、まったく手掛かりになるような情報はなかった。
 一方、鈴木と里香は自転車を降りて、徒歩で新世界の飲食店やパチンコ店に入り、お客さん一人ひとりにラッキーの写真を見せて訊ねていた。里香は初めての経験なので、緊張してドキドキしながら鈴木に寄り添っていた。
 あるパチンコ店に入ると場内は超満員、クラブでかかるような音楽がガンガン響き、客を盛り上げるアナウンスが流れていた。場内は叫ぶように話してやっと聴き取れる状態だった。
 鈴木はパチンコに熱中しているお客さんへ、
「すみません、この仔犬を見かけたことないですか?」
 里香から送信してもらった携帯電話の写メールを見せて叫ぶように訊ねた。
 お客さんは警官だと知るとそっけなく、
「ない、ない」
 左手をバイバイするように振って答えていた。
 ある壮年のお客さんからは、
「えっ、仔犬がどないしたんや?」
「実は、誘拐されて迷子になったです」
「ふーん、そうかいな。警察は迷子の仔犬なんか捜している暇あるんか?」
 煙草をふかしながら嫌みを言われた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第四章 その7
 さらに、城田は怒りを抑えながら話しを続けた。当時いた三十数名の社員の生活を守るため止む終えず、役員全員が会社から身を引くことにした。それを引換にヤミ金融の返済の話しを大沢にすると、城田個人の借金だから会社とは関係ないと突き放され無視された。
 結局、ヤミ金融の強引な取り立てに追われるはめになり、家族に迷惑がかからないように一家離散した。そして、ヤミ金融から逃れるため、あいりん地区に身を隠した。
 最近になってクレームの原因は大沢が社員と結託して企んだ乗っ取りのシナリオだったことがわかった。何としても、大沢へ仕返しをしたくて子犬を誘拐した。大沢を脅迫してヤミ金融の返済分でも巻き上げようと思っていた。と、城田は悔し涙を流しながら語った。
「そうだったの……ほんとうに大変だったんですね。悔しい気持ちはよくわかります。でも……だからと言って誘拐はよくないわよ」
 江美は同情しながらも罪を戒めた。
「それはよくわかっています。でも……今の俺には子犬を誘拐することしか、大沢への仕返しができないと思ったんです」
「そんなことないわよ。他に方法はあるんじゃないの」
「何回も電話したが、会ってくれないんだ」
「大沢さんは逃げてるのね」
「逃げてると言うか、俺を無視しているんだ。だから、強行に仔犬を誘拐したんだ」
「城田さんの気持ちはわかるけど……で、盗んだ仔犬はどこにいるの?」
「それが、逃げられたんです」
「えっ、逃げた!」
 江美は驚いて叫んだ。中村と鈴木も江美と唱和するように叫んだ。その瞬間、天空を切り裂くように稲妻が走った。そして追いかけるように轟音が大地を揺るがした。江美の心は雷より激しく衝撃を受けた。
「仔犬はいつ、どこで、逃げたの?」
「昨日の夜十時頃、さっきの商店街で逃げられました」
「昨日の夜……商店街で……」
 江美は困惑した表情で呟いた。そして、城田の首のツボを人差し指で鋭く突いた。しばらくすると城田は頭を激しく左右に振って手足も動き出した。
 しかし、感応の術だけは城田の心に深く残すことにした。十日もすればこの術は自然に消え去るが、それまでに必ず改心するだろうと江美は思った。
 しばらくするとパトカーがやって来て、観念した城田を西成警察署へ連行した。
 ラッキーが逃げた商店街から、三班に手分けして本格的に捜査することにした。一班は江美と中村があいりん地区方面、二班は急いで駆け付けて来た里香と鈴木が新世界方面、三班の忍者犬どんべえは自由に捜査させることにした。中村と鈴木は警察官の制服に着替え、江美と里香は婦人警官の制服を借りて、午前十時頃から豪雨のなかカッパを着て捜査を始めた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第四章 その6
 江美は大きく息を吸って肺の空気をゆっくり吐き出した。そして観念したように、城田の首のツボを人差し指で強く押した。
 すると、城田は「ウッ、ウッ」と呻いて、体が人形のように硬直してしまった。だが、目と口だけは動いていた。
 城田の目をじっと見つめていた江美の瞳がキラキラと光り輝き出した。そして、城田の目を釘付けにした。
 ……そのまま三分が過ぎた。
 城田の瞳は血走ってトロンとなっていた。
「あなたは元社長の城田さんですね」
「はい、そうです」
 その不思議な光景を見ていた中村と鈴木は目を見合わせ、不可解な顔をして首を傾けていた。
 これぞ、くノ一忍法「感応の術」。この術は江美の素直な心が相手の心に感応して、素直な心にさせる忍術だった。
「城田さん、大沢さんの仔犬を盗んだんですか?」
「はい、盗みました」
「仔犬はどこにいるんですか?」
 城田は悲しい表情をしてそれには答えず、静かに口を開いた。
「実は、大沢に騙されて会社を乗っ取られたんです」
「えっ、騙された? 詳しく聞かせてくれますか?」
 江美が同情して優しく訊ねると、城田は身動きできない壊れたロボットのように、口だけをパクパクして話しを続けた。
 それは、三年前から大沢の会社と取引が始まり、順調に売上が伸びて会社の設備投資や優秀な人材を増やしていった。そして、大沢が応援するからと言う口約束で、携帯電話のソフト開発に約一年間全力で取り組んだ。計画では大きな利益をあげれるはずだったので城田は少ない私財をつぎ込んで真剣に取り組んだ。しかし、支払いは大沢から再三クレームをつけられ延ばし延ばしにされた。
 あと二ケ月後には、大沢から五千万円支払うと言うことを確認したので、人件費や営業経費が底を突いて足らない一千万円を安易な考えで、ヤミ金融を利用して城田個人で借りてしまった。しかし、約束の日になっても大沢は理不尽なクレームをつけて五百万円しか払ってくれなかった。ついに資金ショートして、会社の運営ができなくなった。
 大沢はそれを待っていたように、会社を存続したければ、クレームの責任を取って役員全員が辞めたら会社を救おうと条件を出してきた、と語った。
「大沢さんはなんて卑怯な汚いことをするのかしら」
 江美は激しい怒りが思わず大きな声になってしまった。雨は激しさを増し、みんな水をかぶったようにずぶ濡れになっていた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ
第四章 その5
 城田はすかさず攻撃の構えをした、さすがに空手四段の有段者だけあって隙がない。
 一方、江美は隙だらけの無我の境地で立っていた。江美の頬にぽとりと雨粒が落ちた。突風が吹き抜けて木々がザワザワと音を立てた。
 どんべえはお坐りして二人の闘いをじっと見ていた。息をはずませて中村と鈴木がやっと追いついて来た。
 緊張した雰囲気のなかで、城田と江美は睨み合って立っていた。そんな空気のなかに入り込めず、中村は唾をゴクリと呑んで、呆然と成り行きを見つめるだけだった。
 突然、「ヤッ!」と絶叫した城田は、江美の顔に向かって鋭い鉄拳を数発くり出した。
 江美はそれを間一髪の見切りをつけて躱した。続いて、素早い回し蹴りが顔面に近づいた瞬間、江美は俊敏にとんぼを切ってそれを躱した。城田は阿修羅の形相になって、江美に激しく攻撃をするが、ことごとく空を切るだけだった。
 江美はとんぼの回転を速めると、ふぁーと鳥のように舞い上がった。見上げると五メートルもある木の枝の上に立っていた。
 驚愕した城田は絶叫した。
「きさま、忍者か?」
「そうよ。ウチは忍者くノ一、服部江美。もう許さないわよ」
「な、なんだと……」
 城田はあとずさりしながら呟いた。
 江美は木の枝をバネに高々と舞い上がると、城田の頭上でクルリと一回転して、城田の背中を力任せに蹴り上げて着地した。城田は「ウッー」と呻きながら、膝から崩れ落ちた。
 中村はその光景をぽっかり口を開けて呆然と見つめていた。鈴木は驚きを隠せず小刻みに身震いしていた。
 着地した江美は中村を見て、
「あら、見てたの中村君。さあ、城田を逮捕してくれない」
 と、こぼれるような笑顔で言った。
 中村はその江美の笑顔を見て激しく心臓が高鳴った。
(あかん、もう完全に惚れてしもうた)と、腹のなかで呟いて赤面した。
「中村君、何をボーと立ってるの、早く手錠をかけてよ」
「は、はいっ。えらいすんまへん」
 中村は慌てて内ポケットから手錠を取り出して、気絶している城田の両手にかけた。
 江美は城田を起こして背中に膝で喝を入れた。すると城田は呻きながら意識を取り戻した。両手に手錠をかけられているのに気づくと観念したように頭をうな垂れた。雨は大粒になり激しい雨音に変わった。
「あなたは、元社長の城田さんに間違いないわね」
 江美は一段と声を大きくして訊ねると、城田は俯いているだけだった。
「大沢さんの仔犬を盗んだの?」
「……」
「もう、観念して白状しなさい」
「……」
「おい、城田ええかげんに白状せえ」
 中村は苛立って城田の胸元を掴んで叫んだ。
「……」
 城田はじっと頭を垂れて沈黙していた。

ブログランキング参加中!
▼クリックしていただけたら励みになります。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気blogランキングへ