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| プロフィール |
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Author:しげぞう
☆ご訪問ありがとうございます。 それゆけ忍者(完結掲載)
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| それゆけ忍者 【自作小説】幸運をまねく奇跡の仔犬と忍者のヒューマン物語 |
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| 第三章 その6 |
中村は困った表情をして、 「江美さん、そんなこと言わんと協力させてなぁ」 「ほんと、協力してくれるの?」 「あたり前でんがな、江美さんのお願いなら何でのするさかい。で、変装って……何になるんでっか?」 「日雇労働者よ」 「えっ、日雇労働者でっか」 「そうよ、日雇労働者になって新世界やあいりん地区で元社長を捜して欲しいの」 中村と鈴木は顔を見合わせて情けない顔をした。 「何を情けない顔してるのよ。日雇労働者を馬鹿にしてはいけないわ。いろいろ事情があってこの地域で必死で生活しているんだと思うわ」 「おっしゃる通りです。喜んで日雇労働者になりまっさ」 「よかった……ありがとう中村君、鈴木君。いくらウチが変装できても男の日雇労働者にはちょっとなれないから……助かるわ、感謝します」 江美はこぼれるような笑顔で言った。 「江美さんにそんなに喜んでもらえるんやったら……もう死ぬ気で頑張りまっさ」 中村は気合いの入った顔をして言った。 すると江美はにこにこ笑いながら、 「別に死ぬ気で頑張らなくてもいいから、本物の日雇労働者になりきって、早く元社長を捜してちょうだいね」 「はいっ、では日雇労働者になりきって捜査します」 「ところで、中村君はあいりん地区へ行ったことあるの?」 「まぁ、近くの飛田に行ったついでに、ブラブラしたことはありまっせ」 「えっ……飛田? 聴いたことあるわね。いかがわしい場所じゃなかったの?」 「いかがわしいとは失礼な……、飛田遊廓があるお陰で、性犯罪が減ってまんねんで」 「で、中村君はその遊廓に入ったことあるの?」 「あたり前でんがなぁ、まあ……人生経験ちゅうもんでんな」 「何が人生経験よ……、エッチね」 「エッチと言われればエッチやけど、男は無性に女が恋しくなるんですわ。なぁ……鈴木も、そうやろ?」 「中村先輩ほどでは無いですが……まあそういうときもあります」 鈴木は赤面して小さな声で言った。 中村は大きく頷いてから真剣な表情になって、 「江美さん、俺はいつも感心してるんやけど、遊廓にいる若い女性はみんな気立ての良い子ばっかりなんですわ」 「もう……恥ずかしいからその話し止めて」 江美は赤面した顔を両手で隠して言った。 「江美さん、ウブでんなぁ」 「もう……怒るわよ中村君。そんなことどうでもいいから、しっかり捜査してよ。間違っても遊廓に寄らないでね」 「はいっ! 了解しました。では、行って参ります」 「ちょっと、待ってよ……その恰好じゃ警官じゃないの。近くの古着屋さんで服を買って、日雇労働者に変装してくれる。はいこれ運転資金よ」 江美は財布から一万円札を十枚取り出して中村に渡した。 「江美さん、こんなにも運転資金はいりまへん」 「何を言っているのよ、元社長を見つけるまでは帰ってこれないんだから」 「えっ……見つかるまで帰れない、そんな……」 「そうよ、だからこそ真剣に捜せるじゃないの。望月警視にはちゃんと話してあるから心配しないで思い存分、捜査してね」 「それじゃ元社長が見つかって、無事ラッキーを救えたら、デートしてくれまっか」 「何を言ってるのよ……でも、中村君が頑張ったら考えてもいいわよ」 「ほんまでっか。では、頑張って捜査しまっさ」 それから一時間後、中村と鈴木は薄汚れた作業服にタオルを首に巻いて日雇労働者の恰好をして新世界をうろついていた。
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| 第三章 その5 |
すると突然、車の助手席のドアが開いて、 「あぁ……疲れたわ、どっこいしょう」 と言いながら、お婆さんが車に入って来た。 「あらあら……おまわりさん、こんにちは」 お婆さんはにこやかにあいさつをした。中村は不思議な顔をして、 「こんにちは、お疲れさまです。お婆さんも里香さんの仲間でっか?」 「いいえ……仲間じゃなくて、里香の祖母なんですよ」 警官の中村は驚いて、 「申し遅れました。私は警察官の中村隆司、隣は後輩の鈴木博之でございます。どうぞよろしくお願いいたします」 「あら、標準語も話せるじゃあないの」 と笑いながら、お婆さんはかつらと仮面をとった。 「何だ……江美さんだったんでっか」 「何だとは、何よ……江美で悪かったわね」 「それにしても、見事な変装ですなぁ。全然、気がつきまへんでした」 「誉めてくれてありがとう……中村君も変装したい?」 「江美さんの命令なら変装でも何でもしまっせ」 「ほんと……よかった。来てもらった甲斐があるわ」 江美が言うと、中村と鈴木は目を合わせて神妙が顔をした。 にこにこ笑っていた江美も急に真剣な表情になって、里香に大沢の会社の調査状況を訊ねた。 里香は簡潔に調査内容を説明した。 江美は聴き終ると、 「やはり……会社買収で大沢を恨んでいる人物がいるようね」 と、呟いた。 江美が大沢を尾行してわかったのは、間違いなく新世界付近へ人を捜しに来ていたことだった。串カツ屋をのぞいたり、店員や歩いている人に何か訊ねたり、キョロキョロしながら天王寺動物園の方へ行ったので、江美はこのまま尾行するより、里香に頼んだ調査を聞いて、警官に協力してもらう方が賢明だと考えて戻って来た。 みんなの話をまとめると、ソフト開発会社の元社長とラッキーを誘拐して北へ向かった年配の男、そして大沢が新世界へ誰かを捜しに来た。この三つはひとつの線でつながっているように思えてならなかった。 「里香ちゃん、ところでソフト開発会社の元社長の城田幸雄は、今どうしているか調べたの?」 「はい、それが……会社買収されてから離婚して、今は行方不明だそうです」 「行方不明……? やっぱりここだわ、ここにいるんだわ」 「江美さん、ここにいるって……元社長がでっか?」 「そうよ。新世界かあいりん地区にいるのよ……きっと。だから、大沢さんが真っ先にここに捜しに来たのよ」 「里香ちゃん、元社長の写真はないの?」 「あるわよ……これです」 プリントアウトした顔写真を見ながら江美は、 「さすが……里香ちゃんね、ありがとう。やっぱり中村君と鈴木君の出番だよ」 「ええ……なんでっか?」 「それはね……中村君がしたかった変装よ」 「いや、別にしたくはないでんがなぁ」 「じゃあいいわ、もう帰って」 江美は口を尖らせすねた顔をして言った。
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| 第三章 その4 |
大沢は新世界の通天閣の側にあるパーキングにベンツを駐車して、南の方向へ歩き出した。江美のワゴン車も近くのコイン駐車場に車を止めた。そして、江美は素早くお婆さんに変装した。どんべえもかわいい服を着せて変装させ、散歩をしているように見せかけて大沢の尾行をすることにした。 江美は里香にインターネットで大沢の会社の最新情報を調べることを指示して、車を飛び出して大沢を追った。 しかし、大沢の姿はもうどこにもない。だが、どんべえが側にいるので安心だった。どんべえの鋭い鼻で大沢の匂いを嗅ぎつけ尾行を始めた。 里香は大沢が代表取締役社長をしている会社を特殊な検索方法で調査を始めた。メインは建設会社だった。そのグループ会社に設計事務所、健康食品、ソフト開発などがあった。 情報を調べていくと大沢は企業買収にも関わっていることがわかった。この五年間で三社の企業を傘下にしていた。 半年前にも一社を傘下にしていた。その会社は大阪市内にあるソフト開発だった。現在、社員五十数名で主に携帯電話関連のソフト開発を中心に事業も展開していた。 近い将来、携帯電話を利用したさまざまなサービスが新しい情報化社会を創っていくだろう。そこに、大沢は目をつけて傘下にしたのだろうと思える。詳しく調べていくとソフト開発会社には傘下にする以前の役員が一人も入っていないことがわかった。(どうもこの会社買収はきな匂いなぁ)と、里香は思いながら検索をしていった。すると、ソフト開発会社の元社長の情報が詳しく載っているサイトが見付かった。 突然、車の窓ガラスを「コンコン」とノックする音がした。外をのぞくと二人の警官が笑顔で手を振っていた。 「あれ……よくわかったね」 里香はドアを開けて訊ねた。 「そりゃ……腐っても警官やから、里香さんの芳しい香りを嗅ぎつけて来たんですわ」 「ウソばっかり、江美さんに聴いたんでしょう」 「ちょんバレですなぁ……まあそう言うことですわ」 「さあ、車に入ってちょうだい」 中村は車内に入ると驚いて訊ねた。 「里香さん、うしろに並んでいる液晶モニターはなんでっか?」 「これは、追跡装置、遠隔操作、情報収集などができる最新機器よ」 「いや……びっくりしましたわ。まさか車にこれだけの装置があるとは……」 「この車の外観は普通に見えるけど、すべてが特注なのよ。エンジンは六千CCで三百キロは軽く出るわよ。それにボディーと窓ガラスはすべて防弾にしてあるの」 「そうでっか……ほんますごいでんなぁ」 そう言いながら、中村は目を丸くしていた。里香は言ってしまったことを後悔しながら、 「これは、秘密だからここだけにしてちょうだいね」 と、拝むようにお願いした。 「わかりました。あの……ついでにもうひとつ聞いてもいいでっか?」 「いいわよ」 「噂では、江美さんは忍者くノ一って、それはほんまでっか?」 「えっ、誰に聴いたの……?」 「望月警視が、ぽろっと伊賀に江美と言う名のすごい忍者くノ一がいてるってもらしてましたから」 中村がそこまで知っているならまあいいかと思って、口の軽い里香は、 「……本当よ」 と言ってしまった。 「やっぱり、そうでっか」 中村は目を輝かせて里香の涼やかな目をじっと見つて頷いた。
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| 第三章 その3 |
二人の若い警官は仕方なく西成署へ戻る途中、バイクがガス欠になりそうなのでガソリンスタンドへ給油に寄った。中村は期待もせずこのガソリンスタンドの若い女性スタッフにラッキーの写真を見せると、 「あれ、この仔犬、今朝九時過ぎに見かけましたよ。自転車の前カゴに乗っていましたよ」 「えっ、自転車?」 「そうです。年配のちょっと汚らしいおじさんと綺麗な色の仔犬だったので、ちぐはぐな感じだなと思って、印象に残っているんです」 「おっさんは、どんな服を着て、どんな人相しておりましたか?」 中村が訊ねると、女性スタッフは思い出しながら、 「さあ? チラッと見ただけなので……、仔犬が印象に残っているだけで……確か服はベージュの作業着みたいでしたが、人相まではわかりません」 女性スタッフは自信なさげに答えた。 「そうでっか、おおきに」 「あの……、何かあったんですか?」 「どうも誘拐されたようなんですわ」 中村が答えると、女性スタッフは驚いて、 「えっ、誘拐事件!」 半オクターブ高い声になって叫んだ。 「それで、どっちへ走ってはりましたか?」 「あっちです」 緊張した表情の女性スタッフは右手で北の方向を指差した。 「おおきに、助かりました」 そう言った中村は慌てて、江美へ電話した、 「江美さん、やっと目撃者が現れましたで」 「ご苦労さまです。で、状況を聞かせてくれますか」 中村はおもしろい大阪弁で話しながら、若い女性スタッフから聞いた情報をキッチリ伝えた。すると江美は、 「車じゃなくて自転車なの……で、その年配の男性の容疑者は北へ走って行ったの、そのガソリンスタンドから北ということは……、新世界かあいりん地区かも知れないわね」 「江美さんもそう思いまっか? 私もそんな気がしてしょがないんですわ」 「ウチは今、新世界に来ているのよ」 「えっ、新世界でっか?」 「そうなの、大沢のご主人を追跡したら新世界に来たのよ」 「そうでっか……さすが江美さんですね」 「そんなに、おだてないでよ恥ずかしいわ……」 江美は電話口で苦笑しながら言った。 「あの……江美さん」 「なんですか?」 「えーと……事件が終ったらデートしまへんか?」 「何を言っているのよ、仕事中でしょう。不真面目な警官ね」 「はあ……えらい、すんまへん」 江美から叱られた中村は頭を掻きながら謝った。 「それじゃあ、すぐに新世界に来てちょうだい」 「それが駄目なんですわ」 「なぜ?」 「上司が仔犬の誘拐ごときで時間を使うな、すぐ署へ戻ってこいって言ってまんねん」 「何が仔犬ごときよ……もう頭にきたわ、上司って誰なの?」 江美は少し声を大きくして訊ねた。すると中村は言いにくそうに、 「いや……あの……」 そう言いながらためらっているので、 「誰なのよ?」 と、江美は鋭く詰問した。 「実は、江美さんもよくご存知の……望月警視なんです」 「えっ、望月警視があなたの上司だったの?」 「はあ……、そうなんでございます」 「望月警視はウチの叔父さんだから、あとで連絡しておくわ、だからすぐこちらへ来てちょうだい」 「はい、喜んで」 「もう……おやじギャグ言ってる場合じゃないわよ」 中村は飛び上がらんばかりに喜んで後輩の鈴木を連れて新世界へ急いだ。
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| 第三章 その2 |
新世界(しんせかい)は大阪市浪速区恵美須東一丁目から三丁目にある歓楽街である。界隈に通天閣や幸福の女神ビリケン像も有名、ジャンジャン横丁があることでも知られている。戦前は通天閣及びルナパークの開業により、新世界界隈には芝居小屋や映画館、飲食店が集まり出し、国技館も建設され歓楽街の様相を呈するようになった。一方、周辺地域では市立天王寺動物園、飛田遊廓が開業するなど、一帯は庶民的な歓楽街として親しまれてきた新世界だったが、大手私鉄のターミナルに位置しないこと、観光の多様化などに伴い、近年は衰退していた。皮肉にも、発展していない「昔の繁華街」の雰囲気が、却って観光資源になっている面もあった。かつての新世界は、その独特の雰囲気で人々を惹きつけ、多くの小説・漫画の舞台ともなった。 1997年新世界では久々の大規模施設としてフェスティバルゲートとスパワールドが、大阪市所有の市電車庫跡地に開業したものの、2004年6月にはフェスティバルゲートは経営破綻している。 近年では、NHKの連続テレビ小説「ふたりっ子」の舞台として登場した。週末になると数多くの観光客が詰め掛け、通天閣や今や懐かしい手書きの派手な映画看板などをバックに写真を撮ったり、スマートボールに興じている様子が見られることから、歓楽街というよりは観光地の様相を呈している。
 この地区の南側にあいりん地区がある。職を失った人達が日雇労働者として働きに行くステーションにもなっている。高度成長期のあいりん地区は早朝になると国道沿いにずらりと大型バスが並んでいた。堺などの工場から労働力を求めて大型バスでやって来て、バスの窓には日当現金払い五千円とか七千円と書いた紙が貼ってあった。それを見て日雇労働者はバスに乗り込んで働いて日当を稼いでいた。しかし、バブルがはじけてからは閑古鳥が鳴いていた。 最近では日雇いの職に溢れた人たちがホームレスとして周辺の公園や空地で暮らし、また夜の商店街ではシャッターの前に段ボールのふとんを作って寝るような暮らしをしている人もたくさんいる。今や日雇労働者の暮らしが大きな社会問題になっている。 「江美さん、大沢さんは新世界へ向かっているようだわ」 「新世界か……、何か胸騒ぎがするわね。とりあえずウチたちも大沢さんを監視しようか」 二人は急いでラーメン屋を出て、大沢のベンツを追跡することにした。 一方、二人の若い警官は大沢邸の近所の店舗や邸宅へ聞き込みに奔走していた。通行人にもラッキーの写真を見せて訊ねているが、目撃した人はなかなか見つからなかった。 帝塚山の一軒一軒の邸宅は敷地が広く門があって高い塀で囲まれているのがほとんどだから、家の中から外が見えないことも原因しているのだろう。 そうこうしているうちに警官の上司から電話が入り、仔犬の捜索ごときであまり時間を使うなと注意され、早く署へ戻れと言われた。
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| 第三章 その1 |
江美の運転するワゴン車は帝塚山の街を抜けると国道二十六号線を北へ数百メートル走って、すぐラーメン屋の駐車場へ入った。 「里香ちゃん、昼食にラーメンでも食べながら作戦を練ろうか?」 「確か、江美さんはラーメン食べると頭が冴えるんでしたね」 「ほんと、ラーメン食べると不思議に頭が冴えるんだよね」 「里香ちゃんも食べるよね、ウチがおごるから」 「わーい、ありごとうございます。私もラーメン食べて一緒に作戦を考えます」 どんべえをワゴン車に残して二人はラーメン屋へ入った。昼時で賑わっていたが、幸い奥の二人用のテーブルに案内された。 江美はヘルシーな忍者食ばかり食べているから、無性にとん骨のコッテリしたものが食べたくなるときがあった。 テーブルにとん骨ラーメンが置かれると、二人は夢中になり一言も語らず、あっと言う間に食べてしまった。

「あーあ、美味しかったお腹パンパン」 そう言って里香はお腹を叩いた。大阪育ちの里香は若いのに、もう大阪のおばチャンが少し入っていた。 「それじゃあ……里香ちゃん、ノートパソコン起動させてくれる」 「わかりました。何か調べるものあるんですか?」 「うん、それから……追跡ナビを開いてくれる」 「えっ、追跡ナビ? はい……開いたわ。あれ? 追跡ナビが動いてる……」 里香はちょっと驚いたように言った。 「やっぱり、大沢さんが動き出したわね」 江美は頷きながら呟いた。 「あの……江美さん、いつのまに大沢さんのベンツに発信機を取り付けたんですか?」 「どんべえから報告を聞いているとき、こっそりベンツの底に付けたの」 「そうだったんですか……全然気が付きませんでした」 「そりゃあ、忍者だからね」 江美はささやくように言って微笑んだ。 「ところで里香ちゃん、大沢さんは何かおかしいと思わない?」 「思うけど……でも、大沢さんは被害者じゃないんですか?」 「確かにそうだけど、ラッキー誘拐事件はきっと大沢さんに関わりがあるわよ。これからそのことを調査しようと思っているの」 「あれ……? わんランドに戻るんじゃなかったの?」 里香はキョトンとして訊ねた。江美を苦笑しながら、 「それは嘘よ。大沢さんを泳がすために、芝居をしただけなの」 「さすがは江美さんね。里香も騙されました」 「作戦には味方を欺くこともあるから……ごめんなさいね」 江美は両手を合わせてかわいく謝った。 追跡ナビの画面に映っているベンツは帝塚山から国道二十六号線を走って西成区へ入り、新世界の方面へ向かって動いていた。
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| 第二章 その12 |
ラッキーは江美さんと里香さんにしつけをきっちりしてもらったのでとても行儀の良い仔犬なんです。それから人が大好きだから親しみを込めて頭を撫であげると誰にでも喜んで戯れつくんです……と、心配そうに奥さまは話した。 「そうでっか、参考になりましたわ……」 中村はそう言って、写真をじっと見ながら頷いていた。 「中村先輩、こんなに特長があったら探しやすいですね」 「そうやなぁ……でも鈴木、舐めてかかったらあかんで」 「そうですか……」 「人間でも犬でも同じや、誘拐事件はごっつう苦労するで……、ええか鈴木しっかりたのんまっせ」 それを苦笑しながら聴いていた江美は堪りかねて、 「もう……中村君その大阪弁なんとかならないんですか?」 すると中村は照れ笑いして頭を掻きながら、 「すんまへん、いつも上司に注意されてまんねん。生まれつきやから堪忍してんか」 「ふーん、生まれつきなの……もう……いいわ。おもしろい警官が一人くらいいる方が楽しいから謝ることないですよ」 江美はこぼれるような笑顔で言った。 すると、中村は子どものような無邪気な笑顔で馴れ馴れしく、 「ところで、江美さん。仔犬を誘拐して犯人は何が目的なんでしゃろ?」 「そうね……、そんなことウチが訊きたいわよ」 「すみまへん、やぼなこと訊いて……」 「いいのよ中村君。これから調べたいと思ってるから、中村君と鈴木君も協力してくださいね」 「はい……喜んで。江美さんのためなら喩え火の中・水の中でもかましまへん」 中村は真剣な顔をして言うと、江美は笑みを浮かべて、 「もう……ほんとおもしろいおまわりさんね。では捜査よろしくお願いしますね」 「はい、了解しました。早速、近所を捜査しまっさ」 「それから中村君、手がかりを見付かったらすぐウチに電話してくださいね」 江美は電話番号を書いたメモを渡しながら言った。 「はい、では行ってきまっさ……」 二人の警官は勇んで出ていった。 「ところで江美さん、私たちはどうするんですか?」 今まで黙って聞いていた里香が訊ねた。 「そうね、私たちはわんランドに帰ってじっくり作戦を練ることにしましょう。さあ、帰りましょうか」 「ええ、もう帰るんですか? ラッキーは大丈夫でしょうか?」 奥さまは困った表情をして江美にしがみついて訊ねた。 「大丈夫だと思いますよ。もし脅迫電話があったら、すぐ電話くださいね」 「わかりました。よ、よろしくお願いします」 おどおどしている奥さまを励まして、江美たちは急いで大沢邸を去った。
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| 第二章 その11 |
「それは、ここにいる男性以外の匂いが、庭に残っているからです」 「えっ、男性の匂いが残っているって?」 「ええ、どんべえがその匂いを見付けたんです」 江美は大沢の目を見つめて答えた。 「どんべえ……? あのペットショップわんランドの看板犬の?」 「そうです」 不思議な顔をしている大沢へ奥さまはそっと耳打ちした。「えっ」と驚いた大沢は江美に訊ねた。 「江美さんは、どんべえと会話ができるんですか?」 「ええ、できます。実はどんべえは特殊な訓練を受けた忍者犬なんです」 「忍者犬……?」 「ご主人、詳しいことは落ち着いてからお話します。それより一刻も早くラッキーを探し出さないといけないので、ウチを信じて協力してくださいませんか」 「……」 大沢はソファーに坐ったまま目を閉じて黙っていた。 「ご主人、もう一度お訊ねしますが、本当に恨まれるようなことはないんですか?」 「ん……」 「あなた、本当に心当たりはないんですか?」 奥さまは心配そうな表情をして大沢へ詰め寄って訊ねた。 「心当たりは……ないよ」 と、大沢はぼつりと言葉を投げ捨てた。そして暗い表情をして奥へ入ってしまった。奥さまは顔を曇らせながら大沢のあとを追いかけた。 里香は庭にいる二人の警官へリビングに来るように呼びかけると、 「おおきに、待ってました」 と言って、すぐリビングへやって来た。 江美は二人の警官へ調べた結果を説明すると、 「やっぱり誘拐でっか……おもしろくなってきましたなぁ」 「何をとぼけたこと言っているんですか。最近の警官は不真面目ね」 「えらいすんまへん。そんなつもりで言ったじゃあないんです」 「じゃあ許しあげる。でも真剣に働いてよ、ちゃんと税金払ってるんだから」 「はあ、市民のためにほんま真面目に頑張ります」 江美に叱られた警官の中村は恐縮して下を向いていた。 しばらくしてリビングに現れた奥さまは警官にしがみついて、 「おまわりさん、どうかかわいいラッキーを見付けてください。よろしくお願いします」 「了解しました奥さま、最善の努力はします。ところでラッキーの写真はないでっか。それと特長を聴かせてくれまっか?」 奥さまは本棚の引き出しから数枚の写真を持って来て警官の中村に渡した。 「ほーう、ゴールドの毛並みはほんまきれいですなぁ、それに賢そうな顔してまんがな……」 中村は感心しながら呟いた。後輩の鈴木も写真を覗きながら頷いていた。
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| 第二章 その10 |
江美はこぼれるような笑顔で会釈してから、 「ウチはペットショップわんランドの服部江美、あそこで奥さまと話している女性はアシスタントの木村里香。それと庭をウロウロしていた黒い雑種犬はどんべえ。どうかよろしくお願いします」 すると警官の中村は訝しい表情をしながら、もしかすると服部江美さんは伊賀の……と訊いたとき、江美は話しをさえぎって、 「内緒よ……」 と言って、人差し指を口にあてた。 そのときガレージの自動シャッターが開いてベンツに乗った大沢功夫が慌ただしく帰って来た。 「純子、大丈夫か?」 「あなた、ごめんなさい。用事をしているときに、いつの間にかラッキーが消えたの」 「うーむ」 大沢は深く呻いて、沈黙した。 ちょっと大沢の表情のおかしいと感じた江美は、 「始めまして、私はわんランドの服部江美です。よろしくお願いいたします」 「こちらこそよろしく、家内から噂は聞いていますよ。この度はお世話になります」 「ご主人、たいへん失礼なことをお訊ねしますが、誰かに恨まれるようなことはないでしょうか?」 「えっ……恨まれる?」 「そうです、お仕事関係で恨まれるようなこと……」 「さあ……心当たりはないですが」 しばらく考えて憂いのある表情で大沢は呟いた。
 玄関の方から「ワン・ワン」と大きな鳴き声が聞えてきた。みんな一斉に玄関を見ると、どんべえが外から帰って来て江美を呼んでいた。江美は話しを中断して玄関へ行ってどんべえから報告を聞いた。 「ワン・ワン……さんぽコース以外はラッキーの匂いはないよ」 「そうなの、ご苦労さん」 江美はどんべえの頭を撫でながら言った。するとどんべえは、 「クン・クン……門の前から庭までここにいる人以外の男の匂いがするよ」 「えっ、男の匂いが……」 「ワン」 「ありがとう、どんべえ」 江美はどんべえの背中を優しく撫でて労った。 急いでリビングに戻って来た江美は、 「奥さま、昨日から今日の午前九時頃までに男性の方が訪ねて来ましたか?」 奥さまはしばらく思い出すように考えて、 「いいえ……子ども以外はどなたも訪ねて来ませんでした」 「やはり、ラッキーは怪しい男性に連れさられたようですね。おそらく庭で遊んでいたラッキーを乗り物で連れ去ったようです」 それを聞いていた大沢は怪訝な表情をして江美に訊いた。 「江美さん、なぜそんなことがわかるんですか?」
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| 第二章 その9 |
どんべえは玄関で背筋を伸ばして姿勢よくじっとお坐りして江美の指示を待っていた。江美はどんべえの頭を優しく撫でてから、小声でラッキーが消えたことを説明した。 そして、江美はラッキーの遊んでいたおもちゃをどんべえの鼻に近づけると、「クン・クン」と匂いを嗅いで大きく頷いた。 江美はどんべえに超敏感な鼻を使って屋内と屋外の庭や軒下の隅々、そして散歩コースの周辺を探すように指示をした。 江美の話に頷くどんべえを見ていた奥さまは、夢でも見ているのではないかと頬をつねった。「痛い」と、腹のなかで呟いた奥さまは夢ではないと納得して、動き回っているどんべえを不思議そうに目で追っていた。 しばらくするとバイクに乗った若くて逞しい警官が二人やって来た。門を開けて入って来た警官は、 「おはようございます」 驚くような大きな声であいさつして奥さまに近づいた。 「奥さま、仔犬が消えたんでっか? 大変ですなあ……仔犬が消えるまでの状況を詳しく話してくれはりますか?」 警官は独特な大阪弁で訊ねた。 奥さまは江美に語った内容を話し終わると、 「そうでっか、不思議ですなぁ……。おれへんなった仔犬は毛がゴールド色のミニチュアダックスでんな?」 警官は怪訝そうな顔をして訊ねると、 「そうです、ゴールド色です。珍しいミニチュアダックスですごく貴重な仔犬なんですよ」 奥さまが答えると、 「そうでっか、すごく貴重な仔犬ということはごっつう高いんと違いまっか?」 警官は目を見開いて訊ねた。 奥さまの側で会話を聞いていた江美は、警官をちょっとからかうつもりで、 「ここだけの話しだけど、一千万円はするわよ」 と、大風呂敷を広げて言った。 「えっ、一千万円!」 純粋な二人の若い警官は目の玉がこぼれそうに驚いて叫んだ。 「……嘘よ、本当は五百万円よ」 江美は微かに微笑んで言った。 「ひっかりましたなぁ……それでもすごい高級犬でんな」 警官は苦笑しながら言った。そして、申し遅れましたと言って、大阪弁の若い警官は中村隆司、隣の若い警官は鈴木博之と自己紹介した。
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| 第二章 その8 |
五月下旬のある日、なま暖かい風が吹く午前九時過ぎ、開店前の静かなわんランドの事務所に一本の電話が鳴り響いた。店長は業者からの電話にしたら早すぎるなと思いながら受話器を取った。 「おはようございます。ペットショップわんランドの杉田でございます」 「も、もしもし……服、服部江美さんをお願いします」 「申し訳ございません。まもなく出社すると思います。あの……恐れ入りますが、大沢様の奥さまでしょうか?」 上品な声に覚えのある店長はそう訊ねた。 「は、はい……さようでございます」 「いつもお世話になり、ありがとうございます。もし急用でございましたら店長の私が代わりにお伺いいたします」 「た、たいへん。ラッキーがいないんです」 「えっ、ラッキーがいない? よろしかったら状況をお話しいただけませんか?」 「慌てて失礼いたしました。実は今朝、いつものようにラッキーと一緒に主人を見送ったのが八時、それから洗濯とか掃除をして九時頃にラッキーがいないことに気づいたんです。家中を探してもいないことがわかり、真っ先に服部江美さんにお電話したんです」 「それは大変ですね、承知いたしました。それでは大至急、服部江美と連絡を取り、奥さまの家へ訪問させますので、しばらくお待ちください」 「わかりました、よろしくお願いします」 店長から連絡を受けた江美は驚いて、ワゴン車の進行方向を変えて帝塚山の大沢邸へ向かって疾走した。 江美のワゴン車が大沢邸に近づくと、奥さまは門の前でそわそわして待っていた。 「おはようございます。ラッキーがいないんですって?」 「そうなんです。いつの間にか消えてしまったんです」 「いつの間にか消えた……」 江美は不思議そうに呟いた。奥さまは少し早口で、 「朝九時前まで家の中や庭を走り回っていたのを見たんですが、ラッキーが静かになったので、どうしたのかなと思って、家中を探してもどこにもいないんです……」 心配そうな表情で語った。 「そうなんですか、すぐ警察に捜索願いを出しましょうか?」 「は、はい、お願いします」 江美は警察へ電話するとテキパキと事件の内容を伝えた。 「奥さま、警察はすぐに駆けつけて来ると言っていました。それでは、午前九時前の状況を落ち着いてよく考えて詳しく話してくれませんか」 奥さまは主人を見送った場所から詳細に思い出しながら説明を始めた。そのときチャイムが鳴った。警察にしては早過ぎると思いながら、奥さまがインターホンに出ると里香の声が聞えた。タクシーで一緒にどんべえも来ていた。
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| 第二章 その7 |
帝塚山の街では幸運をもたらす奇跡の仔犬の噂が広がり、大沢邸の広い庭を塀の隙間からのぞく人が現れた。のぞく人といっても、ほとんどは周辺の子どもたちばかりだった。小学生は下校時に大沢邸の塀からのぞいて仔犬を見つけると「幸運がもらえる」と言って騒ぐことが日課になっていた。 ある日、大勢の小学生が大沢邸の庭をのぞいて仔犬を見たとか見えないと言って騒いでいた。それを知った大沢の奥さまは、門を開いてみんなに声をかけた。 「みなさん、よかったら入ってください。仔犬のラッキーも喜ぶでしょうから」 すると、小学四年生くらいの女の子が、 「へえ……あの仔犬、ラッキーって言うんだね。おばちゃん、本当に庭に入っていいんですか?」 こぼれるような笑顔で言った。 「もちろんいいですよ。さあ、入ってラッキーと遊んでやってください」 「わぁーい、ありがとうございます」 大勢の男女の子どもたちは大喜びで庭へ入った。 ラッキーはみんなを見てしっぽを激しく振りながら庭を走り回ったり、子どもに戯れついたりして大喜びしていた。 「めっちゃかわいい」 「ほんとだ、毛が金みたいにキラキラ光ってるよ」

「ラッキー、こっちへおいで」 名前を呼ばれるとラッキーは大喜びして、子どもたちに飛びついて戯れていた。 今まで子どもたちはこの家を通り過ぎるだけだった。しかしラッキーがこの家にいるだけで、こんなに子どもが集まってくれるなんて、奥さまはまるで夢を見ているようだった。 一度にたくさんの子どもができたような気持ちになった奥さまは、感激して目に涙を浮かべていた。 「おじょうちゃんはお名前なんていうの?」 奥さまは、ラッキーを抱っこしていた小学校上級生くらいの女の子に優しく訊ねた。 「山田奈々です」 「そう、奈々ちゃんいいお名前ね。で、何年生?」 「小学校四年、二組よ」 「へえ……四年生なの、奈々ちゃんは犬好きみたいだわね」 「うん、わんちゃん大好きよ。でもラッキーはもっと好きだよ、めっちゃかわいいもん」 「ありがとう、ラッキーも奈々ちゃん大好きだと言ってるわよ」 「ほうとう、ラッキーは奈々が好きなの?」 ラッキーは尻尾を激しく振って奈々の顔をペロペロと舐めた。 「うわー、めっちゃかわいい」 奈々はとろけるような笑顔で大喜びした。そして、 「おばちゃん、ラッキーは幸運をもたらす仔犬って、本当なの?」 と、キョトンとした表情で訊ねた。 「本当よ、おばさんはそう信じているわよ」 「へえー、本当なんだ。ラッキーってすごいんだね」 奈々はラッキーの頭を優しく撫でながら言った。 奥さまは部屋からお菓子を持ってきて、子どもたち一人ひとりに手渡した。みんなは元気よく「ありがとう」とお礼を言って受け取っていた。子どもたちはおやつまでもらって感激して、ラッキーと一緒にはしゃぎ回っていた。 子どもに恵まれなかった奥さまは、ラッキーがお金では買えない、素晴らしいものを与えてくれていることに改めて感謝した。 その日から、奥さまはたくさんお菓子を買って、子どもたちが遊びにくるのを毎日楽しみに待っていた。
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| 第二章 その6 |
「人間の場合は産まれたときから両親や祖父母がいろいろな教育をしてくれ、保育園から最終は大学まで学問やスポーツを通じていろいろな教育をしているから、人間性が磨かれると思います。しかし犬のしつけ教育は歴史が浅く、しつけをしないで成犬になった犬が無駄吠えして世間に迷惑をかけている場合も多いと思います。これからは人間と犬がより快適に暮らせるように、飼い主がしっかりしつけをする責任と義務があると思うんです。犬は大変賢い動物ですから、きっちりとしつけをすれば素晴らしい犬になるんですよ」 「里香ちゃんもなかなかいいこと言うね……関心したわ」 「もーう江美さん、からかわないでください」 里香は口を尖らせむくれた顔をして言った。 「まあまあ……、仲がいいんですね」 そう言った奥さまはニコニコ二笑っていた。 里香は照れ笑いしていたが、気を取り直して話しを続けた。 「しつけの資料はご主人用もお渡しいたしますので、お二人で一読しておいてくださいね。では、今日はしつけの基本になる『お坐り』『待て』『だめ』『よし』を教えたいと思います」 「わかりました。ラッキーおいで」 奥さまが呼ぶと、室内を走り回っていたが喜んでやって来た。奥さまが「お坐り」と言っても無視して、ただ嬉しそうに尻尾を振ってジャレるだけだった。 それを見ていた里香が、ラッキーとアイコンタクトをとって、「お坐り」と言う瞬間にお尻を手で押さえる行為を数回くり返すと、「お坐り」ができた。頭を撫でながら誉めて褒美にビーフのおやつをあげると、ラッキーは尻尾を大きく振って大喜した。 「奥さま、ラッキーが『お坐り』をすると必ずおやつがもらえると思わないように、ときには誉めるだけにしてくださいね」 里香は何回かその行為を繰り返しながら言った。 「わかりました」 奥さまは感心しながら応えた。 次は食器におやつを入れて、お坐りしているラッキーの前に「待て」と言って置くと、ラッキーは食べようとすると「だめ」と言って食器を取り上げた。それを何回か繰り返しをしていると、少し待てるようになった。 そして、ラッキーと名前を呼んでアイコンタクトをとって「待て」ができていたら、「よし」と言っておやつを食べさせた。 「里香ちゃんの言っていることわかるのかしら? ほんとラッキーは賢いわね」 奥さまはラッキーの頭を撫でながら満足そうに笑みを浮かべた。
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| 第二章 その5 |
「クーン・クーンは寂しいよ、心細いよと言って鳴いているんです。うるさがって叱ったりすると性格がゆがんだ犬に育っていくんです。鳴かない犬に育てるためにはかわいそうですが、放っておいて鳴き止んだら、側に行って優しく語りかけながらカラダを撫てあげるといいんですよ」 「そうだったんですか……。つい気になって側に行ってました」 「キャン・キャンは楽しそうに遊んでいるときに鳴くのは問題ないんですが、散歩中に大きな犬に寄ってこられて恐怖や悲鳴をあげるように鳴くのは、怖いよ、嫌だよというメッセージだから抱きあげたりして守ってあげることが大切なんです」 「そうなんですか」 奥さまは少女のように素直に頷いた。 「ワン・ワンは○○して欲しい、○○してくれ、と言って欲求しているんですが、結構うるさくて近所迷惑だから、うるさいと叱ってしまうと逆効果なんです。鳴けば飼い主の気を引けることを覚えてしまって、無駄吠えをするようになるんです」 「私はよく、うるさいって叱っていました」 「叱ればいつまでも叱り続けないといけないから後々が大変なんです。始めは辛いですが、鳴き止むまで忍耐強く待つことが大切なんです」 「忍耐強くですね……わかりました」 「最後にガウ・ガウは怒りを表して威嚇しているんです。こういう場合は飼い主がリーダーであることをわからせるために、キッチリと叱らないといけないんです」 退屈そうに静かに聴いていた、里香が口をはさんで、 「江美さん、叱るって……どつきまわすといいの?」 「そうよ、どつきまわすの」 「えっ、叩くといいんですか?」 奥さまは真顔で江美に訊ねた。江美は照れ笑いして、 「すみません、冗談です」 と言いながら頭を掻いて舌をペロっと出した。 奥さまはクスクスと笑って、 「ねえ、江美さん、本当はどのように叱ったらいいんですか?」 江美は表情を引き締めて話し出した。 そんなときは三秒以内に犬の目をしっかり見てダメと言ってはっきり叱るんです。暴力は人間の子どもと同じでよくないです。正直に言って飼い主にまで威嚇するようになれば、叱るのも難しいし暴力をふるえばなおさら悪くなるんです。そうならない内にしっかりとしつけをすることが大切なんです。 今のうちにきっちり叱って、言うことを聴いたら誉めてあげて、飼い主がリーダーであることをわからせ、信頼関係を深くすれば問題ないと思います。と語った。 続いて、話したくてうずうずして待ち構えていた里香が、飼い主の責任について語り始めた。
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| 第二章 その4 |
「ありがとうございました。では、そろそろしつけ教室を始めましょうか?」 と、江美が言った。すると里香はしつけの資料を奥さまに手渡した。 「それでは……よろしくお願いします」 奥さまは無邪気な少女のように微笑んだ。 江美は資料を開いて奥さまへ確認するように語り始めた。 「長い間、犬を飼っていらっしゃるので誰よりも犬のことはわかっていると思いますが、この資料を基本にお話したいと思いますので、よろしくお願いします」 「いろいろと聴いた雑学がありますが、しつけを正式に学ぶのは今回が初めてですから、江美さんのご指導通りしますからよろしくね」 奥さまは澄んだ瞳を輝かせて言った。 「まず、ラッキーをかわいいからといって甘やかせ過ぎないようにしてくださいね。どこにでも一緒に連れていける賢いラッキーにしたいと思いますから。それから、奥さまが学んだことはご主人にもよく話してくださいね。ご夫婦の言うことがちぐはぐだったら、ラッキーはどうしたらいいか迷いますから、よろしくお願いします。例えば、ダメならでダメ、待てなら待てとご夫婦で統一してくださいね」 「はい、わかりました」 「犬は人間とは違った考え方があることをわかってくださいね。犬のことを理解してあげれば、素晴らしいスキンシップが取れます。そして、しつけをスムーズにするには飼い主と犬との信頼関係が最も大切なんです」 「えっ……信頼関係ですか?」 奥さまは少し驚いて訊き直した。 「そうです。信頼関係も犬がリーダーにならずに、あくまでも飼い主がリーダーシップを持つことがしつけの訓練に入りやすくなるんです」 「リーダーシップ……ですか?」 「そうです。しかし、奥さまが気づかないうちにラッキーは密かに自分のことをリーダーだと思っているケースが多いんです。それはラッキーを愛して甘やかすことが、逆にラッキーを調子に乗せてリーダーになってしまう場合があるんですよ」 「そういえば、ガンで死んだラッキーはそういう感じでした」 「そうでしたか。犬がかわいいからつい思うがままにさせると、自分がリーダーだと思ってしまう場合が多いんですよ」 里香はラッキーを見つめながら二人の会話を静かに聴いていた。 江美はしつけの資料をパラパラとめくって話しを続けた。 「始めに犬の考えをわかるには、まず鳴き方でわかってあげることです」 「そういえばいろいろな鳴き方するわね……」 奥さまは資料に目を落としながら呟いた。
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| 第二章 その3 |
奥さまは立ちあがって本棚から二冊のアルバムを持ってきて、 「ちょっと、これ見てくださいますか」 と言いながら、江美に手渡した。 江美はアルバムを開いて見ると、初代と二代目のラッキーの子どもから成長していく過程が写真とコメントで記録されていた。江美と里香はアルバムをめくりながら、 「うわ……めちゃかわいい」 「おもしろい顔してる」などと、はしゃぎながらベージをめくっていた。すると、江美は見覚えのある城を背景にして初代ラッキーが写っている写真があった。よく見るとその城は間違いなく上野城だった。江美の生まれ育った地域だけに懐かしくなって奥さまに訊ねた。 「これは伊賀の上野城ですね」 「あら、江美さんその写真を見ただけでよくわかるわね」 「実は、ウチの故郷なんです」 「そうだったんですか。実は主人が忍者が大好きで、あこがれの忍者屋敷に見学にいったときの記念の写真なんですよ」 「へーえ、ご主人は忍者が好きなんですか」 「ええ、忍者に関する本や映画は喜んで観ていますよ。まるで子ども見たいなところもあるんですよ」 それを聴いた江美は心から嬉しくなった。たまたまオークションで購入してくれたお客さんの主人と趣味が合って、奥さまもこんなに犬を大切にしてくれていることを思うと感激した。 「ラッキーおいで」 奥さまが呼ぶと尻尾を激しく振りながら嬉しそうに寄ってきた。 「奥さまは、ほんと犬が好きなんですね」 里香が笑顔で訊ねると、 「ええ……どんな動物も好きなんですよ。でも特に犬が大好きなの。忠実で可愛くて、つい私の子どもだと思ってしまうんですよ」 「そうなんですか……ラッキーは幸せですね」 里香は奥さまに戯れているラッキーを見つめながらしみじみと言った。 江美は少し気になっていたことを奥さまに訊ねたくなって、 「奥さま失礼ですが、こんなに裕福な生活をされていて、なぜ、幸運をもたらす奇跡の仔犬を購入したかったのですか?」 すると奥さまは微かに笑みを浮かべて、 「裕福な暮らしはさせてもらっていますが、お金では買えない物があるんですよ」 「お金では買えない物って……?」 「実は主人のことで……」 奥さまは躊躇しながら口ごもった。江美は深入りして訊ねたことを後悔しながら、 「奥さま、失礼なことを訊ねて申し訳ございませんでした」 「江美さん、いいんですよ。主人のことでいろいろ悩んでいることがあって……、主人には内緒でオークションに参加したのよ。だから、私のへそくりで購入したの。幸運をもたらす奇跡の犬だっていうこともまだ主人には話していないのよ」 「そうだったんですか。でも、きっとラッキーが幸運をもたらしてくれますよ」 江美は真剣な表情をして言った。すると奥さまは、 「そう願っているんですけど……」 年甲斐もなく含羞んで応えた。
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| 第二章 その2 |
ラッキーもリビングで「ワン・ワン」と、かわいく鳴きながら尻尾を振って走り廻っていた。 二人はソファーに腰を沈めると、奥さまは珈琲を持ってきてくれた。珈琲カップもイタリア製のおしゃれで豪華な陶器。さすがの江美も始めて見る逸品だった。 奥さまは上品に珈琲を一口飲んでからしみじみと話し始めた。 「私は結婚して二年後に流産したの、それからは子どもができなくて、いくらほしいと思って努力してもできなかったの。子どもはつくるというより授かるという意味がしみじみわかります。夫婦だけでは寂しいものですから、犬を子どもと思って飼っていたんですよ」 「そうなんですか、子どもができなくて……」 「実はこの子の名前でいろいろ悩んだの。ラッキーじゃあなく違う名前にしようと思ったんですが、やはり初代のラッキーが忘れることができなくて、この子を三代目のラッキーにしたのよ」 「えっ……三代目?」 「そう三代目なの。初代のラッキーは確か二十年前になると思うわ。コリーですごく賢い犬だったのよ」 「コリーと言えば、アメリカのテレビドラマですごく人気があった名犬ラッシーを思い出しますね」 江美がそう言うと……奥さまは不思議な顔をして、 「私はその名犬ラッシーのテレビドラマを見てコリーが好きになったのよ。でも、なぜ? 江美さんはお若いにそんな昔のドラマを知っているの?」 「ウチは映画やドラマが大好きだから、よくビデオをレンタルして観てるんです。特に動物の出演する作品はすべて観ていますよ」 「それで……納得したわ。うちの主人も映画やドラマが大好きなのよ」 「へえ……ご主人も好きなんですか」 江美は珈琲を一口飲んで、奥さまの話に耳を傾けた。 「もう三度の食事より好きみたいですよ。あら……話しがズレたわね、ごめんなさい。それから初代ラッキーと十三年間一緒に暮らしたのよ。亡くなったときは実の子どもが死んだように悲しくて寂しかったわ」 「お気持ちはわかります……犬も一緒に暮らしていたら犬じゃなく。もう、子どもと同じですよね」 静かに聴いていた、里香がしみじみと言った。 「本当に子どもだと思って飼っていたものですから……余計に辛くて。それから二代目はミニチュアダックスを飼ったの。すごくかわいい犬だったんですが、去年ガンで死んだの。手術が成功して完治すると思っていたんですが、再発して……かわいそうだったわ」 「ガンって人間でも犬でも怖い病気ですね」 「本当にガンは怖い病気だわ。特に犬の場合はどこが痛いって言えないから、食欲と便の状態を見て判断してあげないといけないでしょう。二代目のラッキーはちょっと体調がおかしいなと思ったとき、もう胃ガンはかなり進行していたの。もっと早く気づけばと後悔しているのよ」 「そうだったんですか……かわいそうに」 江美と里香は涙を浮かべて呟いた。
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| 第二章 その1 |
翌日、オークションでミニチュアダックスの仔犬を購入した白髪の婦人からわんランドへ電話があった。受話器を取った店長は白髪の婦人とわかると、 「昨日は、誠にありがとうございました」 丁重にお礼を言うと、 「こちらこそ、本当にありがとうございました。早速、しつけをしてもらいたいと思ってお電話させていただきましたの」 「はい、かしこまりました。担当の服部江美に替わりますので、少々お待ちください」 電話に出た江美は白髪の婦人と楽しそうに話をして、最後にしつけの日時を決めて電話を切った。 アシスタントの里香は急いで白髪の婦人の顧客リストを確認すると氏名は大沢純子、住所は帝塚山……、ここは大阪府下で屈指の高級邸宅街。そしてお金持ちが多い地域で有名だった。 翌朝十時頃、江美の運転するワゴン車は国道二十六号線の玉出付近を走っていた。数百メートル進んで交差点を左折すれば、帝塚山にある大沢邸に到着するとカーナビがしゃべっている。 電話番号を入力するだけでモニターと音声で目的地まで道案内してくれるから、まだ大阪の街にうとい江美でも迷うことはない。 帝塚山はやはり噂に違わず高級邸宅が街並みを埋め尽くしていた。あちこちの大きな庭から満開の桜が誇らしげに咲いていた。 「江美さん、あそこの豪邸が大沢さんよ」 「ほんとすごい豪邸ね……里香ちゃん、大沢さんに電話してくれる」 里香が電話をすると、すぐガレージの自動扉が開いた。ガレージにはボルボとポルシェが駐車してあった。まだ三台は余裕で駐車できそうな広いガレージだった。 江美はワゴン車を駐車して広い庭に出ると芝生が敷き詰められ、塀側には立派な桜の木々が美しい花をちりばめていた。奥さまは仔犬を連れて庭の中央で出迎えてくれていた。 仔犬をオークションで販売してもう三日が経っていた。仔犬は江美と里香を見ると尻尾を激しく振って大喜びして戯れついてきた。 「おはようございます。奥さま今日はよろしくお願いいたします」 江美と里香は戯れる仔犬と遊びながら元気よくあいさつした。 「おはようございます。江美さん、里香さん、こちらこそよろしくお願いします。そうそう、この子の名前が決まりましたよ」 「そうですか……で、何と言う名前ですか?」 里香は大きな声で訊ねると、 「ラッキー」 奥さまは微笑んで答えた。 「ラッキー、いい名前ですね……。よかったねラッキー」 江美と里香は仔犬の頭を撫でながら、名前を何度も呼んでいた。 「ありがとうございます。ちょっと休憩して珈琲でもいかが?」 「すみません、ありがとうございます」 二人が案内されたリビングは五十帖のフローリングで調度品はすべてイタリア製。壁際には百インチの液晶モニターが大きな顔をして居坐っていた。鮮やかな緑の観葉植物が窓際にセンスよく置かれていた。 しばらくするとキッチンから香ばしい珈琲の匂いが漂ってきた。(あぁ……いい香り、気持ちがリラックスする)と、江美は大きく息を吸って腹のなかで呟いた。
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| 第一章 その14 |
事務所では、赤ちゃんの術にかかった壮年からオークション妨害の依頼人を訊きだそうと、江美はアメやチョコレートを餌にして訊問していた。 「ぼくちゃん、チョコレートあげるからおしえてね」 「わあーい……いいよ」 「わんちゃんいっぱいいるとこってどこなの?」 「あのね……あっち」 「ぼくちゃん、あっちってどっちなの?」 「あのね……こっち」 「こっちって、どこなの?」 「ぼくね……あっちかこっちかわかんない」 「そうだよね、そしたらどんなところ?」 「あのね……テレビがいっぱいあるよ」 (テレビがいっぱいあるところ……そうだ、日本橋の電器の街だ!)と思った江美は、店長に日本橋の電器の街にペットショップがあるか確認した。 店長はしばらく考え込んで、「そうだ」と呟いて、最近のペット雑誌で見たことを思い出した。 店長はその雑誌を探してページをめくると、その店の取材記事があった。 「江美ちゃん、これですよ……見てください」 じっとそのページの写真を見つめて江美は呟いた。 「ほんとだ……オーナーは胸の大きな若い女性だわ」 江美はその写真を壮年に見せて訊ねた。 「おっぱいのおおきなおねえさんって、この人?」 「そうだよ……このおねえちゃんだよ」 それを確認した江美は、壮年の首のツボを人差し指で鋭く突いた。すると、壮年は首を激しく左右に振って正気に戻った。 江美は、静かにペット雑誌の店の掲載ページを見せて訊ねた。 「ねえ、このペットショップから頼まれたのね」 「そんなん知らん」 壮年はそう言ったが、明らかに動揺していた。 「隠しても無駄よ、さっき全部白状しんだから。このビデオカメラで撮影してあるのよ」 江美は机の上にあるビデオカメラを指差して鋭く言った。 「えっ……!」 「こんな汚い営業妨害は人間として恥ずかしいことだとだから、堂々と営業努力して業績をあげることを考えなさい。今回は罰金の十万円を払ったら許してあげるから、もし払わなかったら警察に通報すからって、このペットショップのおっぱいの大きなお姉さんに言っときなさい」 江美は諭すように言うと、壮年はペコリと頭をさげ背中を丸めて事務所を出た行った。それと入れ替わりに、どんべえと白髪の婦人が一緒に入って来た。 江美は白髪の婦人に落札が不正だったことを説明して、落札は白髪の婦人の五百万円に決定したことを告げた。 それを聴いた白髪の婦人は、 「えっ、本当ですか。嬉しいわ……夢みたい」 こぼれるような笑顔になった。見る見る澄みきった瞳から涙が溢れ出した。 無事に契約と決済が終ると、白髪の婦人はミニチュアダックスAZの仔犬を優しく抱きあげ「はじめまして、これからよろしくね」と言って、何度も頬ずりしていた。 仔犬は白髪の婦人に戯れついて喜んでいた。仔犬もこうなることを望んでいたようだ。 そんな光景を見ていた江美は目から涙が溢れた、ふと見ると里香もどんべえも瞼を濡らしていた。店長はうしろを向いて小刻みに背中を震わせていた。 オークションで不正はあったが、結果的に江美は願っていた通り、優しい人に仔犬を購入してもらったことに満足した。
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| 第一章 その13 |
「それでね……おっぱいのおおきなおねえちゃんはどこにいるの?」 「あのね……いっぱいわんちゃんがいるとこ」 「わんちゃんがいっぱい?」 「うん。かわいいわんちゃんがいっぱいいるとこだよ」 店長はびっくりして、夢でも見ているのではないかと何度も瞬きした。 江美のことは噂で忍者くノ一だと聞いていたが、こんな見事な忍術が使えるとは想像もしていなかった。 一方、里香は江美から耳打ちされたことを訳も聞かず、急いで入札していた白髪の婦人を探した。しかし帰ってしまったようだった。まだそう時間は経っていないので、どんべえに白髪の婦人を探して連れて来るよう指示をした。 どんべえは、 「ワン・ワン……おばあちゃんさっきまでここにいたんだよ」 「そうなの」 「クン・クン……ぼくそばにいたからにおいわかるよ」 「よかった。そしたらすぐおいかけてつれてきてくれる」 「ワン……わかった」 と、言ってか? 鳴いてか? どんべえはすぐ店の外へ飛び出した。そして、歩道の匂いを「クン・クン」と嗅いで、東の方向へ一目散に走り出した。 どんべえは犬だが人間なら三十二歳の男性、伊賀の江美の実家で生まれた。江美から忍者の厳しい訓練を受け、人間と会話もできる賢い忍者犬として成長した。 どんべえは愛嬌のあるかわいい顔をして、いつも尻尾を振っているので、鎖につながれていなくても誰も怖がらない。そんな利点を活かしてどんべえは忍者犬として自由に行動していた。 どんべえは軽快に風をきって道行く人をうまく避けながら疾走していた。遠くの大きな公園の側で白髪の婦人が立ち止まっているのが見えた。白髪の婦人は蕾がたくさん顔を出してまばらに開花している桜花をじっと眺めていた。どんべえは見る見る白髪の婦人に迫って、あっという間に白髪の婦人を追い越した。そして振り向いてちょこんとお坐りして尻尾を激しく振っていた。 「あら、さっきのお店のどんべえ君じゃあないの?」 「クン・クン・クン」 どんべえは何度も頭を下げて頷いている。 「どうしたの?」 白髪の婦人が怪訝な表情をして訊くと、どんべえは立ち上がってわんランドへ帰ろうとして、ちょっと歩いて振り返って、白髪の婦人を見て「クン・クン」と鳴いた。 「おかしなどんべえ君ね。それじゃあ……バイバイ」 そう言って白髪の婦人は歩き出した。 するとまた、どんべえは白髪の婦人を追い越してお坐りして、何度も頭を下げている。そして、立ち上がって今度はうしろ歩きをしながらわんランドへ帰ろうとした。 それを見た白髪の婦人のハッとして、 「お店に戻れって言うの?」と訊くと、どんべえは「ワン」と鳴いた。 「あら……わたしの言っていることわかるの?」 白髪の婦人が訊くと、また「ワン」と鳴いた。 「えっ、わかるのかしら? そしたらお店に戻りましょう」 それを聴いたどんべえは大きくジャンプして喜び、お店に向かって飛んで行った。 しかし、しばらく走ると止まって振り向き、白髪の老婦人が来るまでじっと待っていた。 道行く人たちはその奇妙な光景を立ち止まってじっと見ながら首を傾げていた。 (なんて賢い犬なんだろ……)と、白髪の婦人は感心しながら「わんランド」へ戻って来た。
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