それゆけ忍者
【自作小説】幸運をまねく奇跡の仔犬と忍者のヒューマン物語
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第五章 その11
 沙也加と母親は黙って頭を深々とさげていた。
「夜分大変申し訳ございませんでした。本当にありがとうございました」
 丁重に奥さまがお礼を言うと、ラッキーは奥さまの腕からするりと抜け出して沙也加の膝に飛び乗った。
 みんなは驚いてラッキーを眺めていた。
 たまりかねた沙也加は、ラッキーを優しく振り払って奥さまに渡した。
「さあ、ラッキーお家へ帰りましょう」
 と言って抱っこした奥さまの顔が真っ青になった。
 ラッキーの目から涙が流れていた。
 奥さまは涙が溢れ嗚咽をこらえながら観念したように、優しくラッキーを畳に降ろした。
 ラッキーは奥さまの目をじっと見て「クーン・クーン」と鳴いてから、沙也加の側へ尻尾を振りながら行った。
 その光景をじっと見ていた大沢は、
「……沙也加さんには負けました」
 涙を流しながら呟いた。そして、
「なぁ……純子、ラッキーを沙也加さんに譲ろう。いいだろ?」
 奥さまは泣きながら頷いた。
「えっ、本当ですか、ありがとうございます。いくらで譲っていただけるんですか?」
 沙也加は素直に訊ねた。
 すると大沢は、
「ラッキーを助けてくれて、これだけかわいがってくれたお礼としてラッキーは沙也加さんに無償で差しあげます。そして、約束通り礼金として百万円は受け取ってもらはなくては困ります」
 誠実な態度ではっきり言い切った。
「ほ、本当にいいんですか?」
 沙也加は驚いて訊ねた。
「はいっ! 本当です。私たちはラッキーからお金では買えない大切な心を教えていただきました。どうかこれからはラッキーいや光チャンをよろしくお願いします。そして、一日も早くお母さまとお婆さまがお元気になられ、ご家族が幸せになられることを心から祈っています」
 それを聞いた瞬間、沙也加と母親は感激して大声で泣き出した。
 大沢の人情味あふれる光景を目の当たりにして、里香は大きな瞳から滝のように涙が溢れていた。江美は静かに閉じた両目から一筋の涙が頬を流れた。どんべえも「キューン・キューン」と感動して泣いていた。
 江美たちはそれぞれが複雑な気持ちで高橋宅を跡にした。
 車中、寂そうにしている妻に大沢は、
「純子ありがとう。今は寂しいだろうが、明日、わんランドに行って好きな仔犬を買ってきなさい」
「あなた、本当に良いんですか」
「もう、俺は心も体も元気になったから、健康のことは気を使わなくて良いから、純子が好きな仔犬を買ってきなさい」
「あなた、ありがとうございます」
「なぁ……純子、良いことをすればこんなに気持ちが晴れ晴れするとは……」
 大沢はそう言いながら朗らかに笑い出した。
 そして大沢はさわやかな口調で、
「江美さん、本当にありがとうございました。これからも忍術をよろしくお願いいたします」
「えっ、知っていたのですか?」
「ええ、城田からすべて聞きました」
「大沢さん、今夜はまったく忍術を使っていないですよ」
「そうなんですか……。まあ、俺にとっては忍術を使っても使わなくても、こんな素晴らしい結果になったことに心から感謝しています」
「大沢さん、ありがとうございます。これからもわんランドをご贔屓によろしくお願いします」
 狭い車中にさわやかな笑い声が響いた。

 了

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第五章 その10
「実は昨日、私の親友から仔犬の新聞広告の話を聞いたので、写メールで送ってもらって確認したら間違いなく、その仔犬と思ったんです。しかし連絡しようかすごく悩んで、今朝やっぱり連絡しようと決めていたんです。ですが、仔犬の光チャンはすごく家族に懐いているんです。光チャンがここに来てからお母さんとおばあちゃんがよく笑うようになって少しづつ元気になっているんです」
 奥さんは親身になって頷いていた。そして、
「お母さまとお婆さまは体が悪いのですか?」
「ええ、二人とも父のために心労が重なり体調を壊しているんです。母はまだ若いんですけど、とても働ける体力がないんです。だから、私ひとりが働いて家族を養っているんです」
「そうなんですか、ご苦労されているんですね。立ち入ったこと訊ねて申し訳ないんですが、もし差し支えなかったらお父様はどうされているんですか?」
 奥さまは遠慮気味に訊ねた。すると沙也加は、
「父は事業を失敗して借金を残して家出したんです」
「まあ、大変なんですね……」
 奥さま同情して悲しい表情になっていた。
「私の言いたいのは、家族を明るくしてくれる光チャンと一緒にいたいんです」
 と言って沙也加は泣き出してしまった。
 すると母親も一緒に泣き出した。
 大沢夫妻と江里は困惑した表情をして、しばらく黙っていた。
 この空気にたまりかねた里香は、
「実はね、沙也加さん。この仔犬は世界でも珍しい『幸運をまねく奇跡の犬』なんです。この犬が家庭にいると家族が元気になってどんどん栄えていくんですよ」
 と正直に説明した。
 しゃくりながら沙也加は、
「えっ、『幸運をまねく奇跡の犬』。そう言われると、本当にそうだと思います」
「だから、大沢ご夫妻も仔犬をすごく大切にされていたんです。沙也加さんのお気持ちはすごくわかるけど、どうか快くお返ししてもらえないでしょうか?」
 里香は仲介者の立場としてそう言わざるを得なかった。
「はいっ! わかりました。光チャンを起こして連れてきます」
 素直に納得した沙也加は二階へ上がった。
 しかし江美は、今ほんとうにこの仔犬が必要なのは大沢夫妻より沙也加の方だと心から思った。健気な沙也加の態度に深く感動して、何とかしてあげたい気持ちが込み上げて来た。
 しばらくすると沙也加は光チャンを抱っこして降りて来た。
「ラッキー、会いたかったわ」
 沙也加から受け取った奥さまは泣きながらラッキーを抱きしめた。
 大沢は深々と頭を下げて、
「本当にありがとうございました。心から感謝いたします。少ないですが礼金として百万円を受け取ってください」
 大沢はカバンから取り出してテーブルの上に置いた。

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第五章 その9
 午後十一時半、江美は里香とどんべえを伴って大沢邸へ迎えに行くと、夫妻で行くことになった。車中で大沢は江美に心から感謝していると言って、何度も頭を下げていた。
 当時は欲にかられて見境なく非人間的な行為をしていたことに、今となっては恥ずかしくて心から反省している。逮捕された元社長の城田に対して酷いことをして本当に申し訳なく思っている。城田の今後は責任を持って対応したい。また、罪が軽くなるよう弁護士にお願いしているとも語った。
 午前十二時過ぎ、高橋宅へ訪問するとすでに娘の沙也加が帰宅していた。
「こんばんわ、どうぞむさ苦しいところですが上がってください」
 母親に勧められて三人は六畳の和室に坐った。どんべえは玄関先で賢くお坐りしていた。
「沙也加、わんランドの服部江美さんが来られましたよ」
 母親は階段から二階へ大きな声で呼んだ。
 しばらくして沙也加は降りて来た。
「こんばんわ、始めまして娘の沙也加です」
「始めまして、私はペットショップわんランドの服部江美、こちらは仔犬の持ち主の大沢ご夫妻です」
 江美が紹介すると、大沢の奥さまが、
「沙也加さんこの度は、仔犬の命まで救っていただいて大変ありがとうございました」
 大沢も一緒に深々と頭をさげた。
 すると沙也加は、
「なぜ、ここがわかたんですか?」
 ちょっと不満そうな表情で言った。
「実は、そこにいるどんべえが仔犬とあなたを見付けたのよ」
 江美は玄関先のどんべえを指差して言った。
 それを見た沙也加は驚いて、
「あっ、昼間公園で出会ったわんチャンね」
 すると、どんべえは「ワン」と鳴いた。
「えっ、人間の話がわかるんですか?」
 沙也加は驚いて訊ねると、またどんべえは「ワン」と鳴いた。
 驚いている沙也加と母親に、江美はこの犬は忍者犬で人間の言葉がわかるんですと説明した。
 すると、沙也加と母親は目を合わせて「えっえっ」というような奇妙な表情をした。
「忍者犬どんべえ、ですか?」
「そうです。忍者村伊賀で厳しい修業をした忍者犬なんです」
 江美はきっぱり言った。
「ところで、沙也加さん仔犬のラッキーはどこにいるんですか?」
 と、心配そうに奥さまが訊ねた。
「今、二階で寝ています。連れて来る前に言って置きたいことがあるんですが……」
「何でしょうか?」
 奥さまは表情を曇らせて訊ねた。

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第五章 その8
「実は、ミニチュアダックスの仔犬のことなんです」
「ああ、光チャンのこと……が、どうしたの?」
「えっ、光チャンって?」
「ミニチュアダックスの仔犬のことよ」
「あっ、すみません。で、その光チャンをちょっと見せていただけないでしょうか」
 江美が訊ねると母親は気さくに、
「いいですよ、むさ苦しいところでよかったら、どうぞなかへ入ってください」
 江美は遠慮して玄関先でいいですから、ちょっと見せてもらうだけでと言った。
 母親は気さくに奥から光チャンを連れて来た。すると、光チャンは尻尾を振って大喜びした。
 怪訝に思った母親は、
「あれ、服部江美さんは光チャンを知っているんですか?」
「ええ、実はこの仔犬は誘拐されたんです」
 と言い終わらないうちに、母親は驚愕して、
「まさか、うちの娘が……」
「いいえ、誘拐されてから逃げて迷子になってしまったんです」
「そうなんですか。実は二週間くらい前の豪雨の時、この光チャンが死にそうになっていたところを娘が助けたんですよ」
「そうだったんですか。本当にありがとうございました」
「いいえ、とんでもございません」
「実はこの前、新聞広告に仔犬のことを載せて、礼金として百万円をお渡しすることになっているんです」
「えっ、百万円」
 母親は驚いて叫んだ。そして、
「新聞を取ってないもんですから、まったく知りませんでした」
「そうだったんですか……で、娘さんは?」
「今、仕事に行っています。帰って来るのは午前十二時くらいと思うんですが」
「そうなんですか、助けてもらった娘さんにお礼も言わずに、仔犬を引き取る訳にはいきませんので、午前十二時頃、こちらへお邪魔してもいいでしょうか?」
「そんな遅くにいいんですか?」
「ええ、そちらさえよろしければウチは構いません」
「わかりました。そのように娘に伝えておきます」
 丁重にお礼を言って高橋宅を出た江美は大喜びして、大沢の奥さまに電話してこの状況を伝えると、
「良かった……江美さん、本当にありがとうございました」
 奥さまは涙声で感激しているのがよくわかった。
「遅いですけど午前十二時は奥さまはどうされますか?」
「もちろん、一緒にお邪魔させてください。礼金もその時お渡ししますから」
「そうですか、そしたら午後十一時半にそちらへお迎えに参りますので、よろしくお願いいたします」
 奥さまは何度も受話器にお辞儀をして、静かに電話を切った。

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第五章 その7
 公園に入ると甘いジャスミンの香りが鼻を撫でた。植え込みには濃いピンクのつつじの花が満開に咲いていた。光チャンは草や土の匂いを嗅いたり、おしっこをしたりして大喜びしている。
 歩きながら沙也加はしみじみ考えた。嵐のような一年が過ぎ、あと半年もすれば借金の返済も終わる。カラダは汚れても洗い流したら綺麗になる。しかし心まで汚れたら取り返しがつかない。光チャンのことを知った以上は、きっちりしてあげないと自分自身が駄目になるような気がした。
 遠くから黒い雑種のおもしろい顔をした犬が近づいて来た。野良犬かと思った沙也加はまったく知らないが、その犬はどんべえだった。どんべえは尻尾を激しく振りながら「クン・クン」と鳴きながら、光チャンに近づいた。すると、光チャンは大喜びしてどんべえに戯れついた。
 その光景を見ていた沙也加は首を傾けて(なんで……こんなに喜ぶのだろ?)と、不思議に思った。
 沙也加は出勤時間が迫ったので急いで公園を出て自宅へ向かった。
 うしろから尻尾を振りながらどんべえが付いて来ていた。(おかしな犬だわ……)と思いながら自宅へ光チャンを入れて、早足で歩いてタクシーを拾って遊廓へ向かった。
 どんべえは大喜びしてペットショップわんランドの江里の元へ疾走した。しばらくして、ハアハアしながら江里のところへやって来たどんべえは、
「ワン・ワン・ワン……ラッキーみつかったよ」
「えっ、見付かったの、よくやったわね」
 江里はどんべえの頭を優しく撫でながら、
「で、どこにいるの?」
「クン・クン……ぼくについてきてよ、おしえるから」
「わかったは、さあ行きましょう」
 江里はワゴン車に飛び乗り走り出した。
 どんべえは歩道を走ってワゴン車を誘導した。しばらく走って大国町の外れでどんべえは止まった。
 ワゴン車を近くの駐車場に止めて、どんべえのあとを歩いた。数百メートル歩くと古い二階建ての家の前でどんべえはお坐りした。
「どんべえ、ここなの?」
 どんべえは頭を上下に振って答えた。
「こんにちは、おじゃまします」
 江美は玄関の引き戸を少し開けて大きな声で言った。
「はい、どちら様ですか?」
 沙也加の母親がかすれた声で訊ねた。
「私は、ペットショップわんランドの服部江美と申します。突然で失礼とは存じますがちょっとお訊ねしたいことがあって寄せていただきました」
「ペットショップの……服部江美さん? 何でしょうか?」
 母親はちょっと首を傾げて訊ねた。

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第五章 その6
「そうよ、だから相当大切な仔犬だなと思って、印象に残っているの」
「ねえ、祐子どうしたらいいかな?」
「確か、連絡先も書いてあったと思うけど……、思いだせないわ。それか警察に届けでするかよ」
「でも……光チャンすごく懐いてくれて、めちゃかわいいから……」
「沙也加、何を考えているの? もしかして……」
 祐子は沙也加の大きな瞳を見つめて言った。
 すると沙也加は、
「そう。知らなかったことにすれば、どうかしら?」
「えっ、まだそうだとは決っていないんだから、連絡だけでもしてみたら。もし、そうだったら百万円貰えるんだよ」
 祐子は真剣な表情をして応えた。
「今は、百万円より光チャンの方がいいもん」
「えっ、百万円よ」
「だって、光チャンが家に来てから、お母さんとおばあちゃん明るくなって少し元気なったように思うもん」
「そうなの……」
「ねえ、祐子。その新聞広告を写メールで送ってくれない。それを見てじっくり考えさせてほしいの」
「わかった。家に帰ったらすぐ送るからね」
 祐子はそう言って、しばらく雑談して自宅へ帰ると、さっそく新聞広告の写メールを沙也加に送信した。
 沙也加は送られてきた写メールを拡大しながら読んだ。小さな仔犬のモノクロ写真も載っていた。側で寝ころんでいる光チャンと写真を見比べるとやはり光チャンそっくりだった。連絡先はペットショップわんランドの電話番号が書いてあった。
 沙也加は連絡しようか迷いながら、じっと光チャンを眺めている沙也加の目から涙が流れた。とりあえず一晩考えてから、明日結論をだそうと思った。
 翌朝、沙也加は顔に快感が走って目を醒ました。気がつくと光チャンが小さな舌でペロペロ舐めてくれていた。沙也加は優しく「光チャンおはよう」と声をかけると大喜びして戯れついた。
 沙也加は光チャンが愛おしくてたまらなくギューと抱きしめた。(でもやっぱり、連絡して持ち主に返してあげよう)と、思ったら涙が止まらなくなった。
 しばらくして、光ちゃんと一緒に浴室に入って全身をきれいに洗ってあげた。浴室から出て光チャンをバスタオルで拭いてあげると、大喜びして狭いキッチンへ行って食事を作っていた母親の足元で戯れ回っていた。
 そして、祖母のところへ走って行って戯れついていた。祖母はこぼれるような笑顔で光チャンと遊んでいた。
それを眺めていた沙也加は、喉まで出かかっていた新聞広告の話ができなくなった。
 昼過ぎ、沙也加は出勤前に初めて光チャンと近くの公園に散歩へ行った。もう光チャンとお別れだと思うのだが、家族のことを考えると諦めきれない。悶々とした気持ちを振り払うために一緒に散歩がしたくなった。小さな白い雲がゆっくり流れる青空は、沙也加の心と正反対のように爽やかだった。

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第五章 その5
 ある日、沙也加は仕事が休みだったので昼から光チャンとゆっくり過ごしていた。親友の祐子から電話が入って、今夜、家へ遊びに来ることになった。蒸し暑い夜になったが、夜空には美しい満月が煌々と輝いていた。
「こんばんは、おじゃまします」
「あら、祐子ちゃん久しぶり、お元気そうね」
 沙也加の母親は嬉しそうに笑顔であいさつした。
「おばさん、体調はいかがですか?」
「ありがとう、ぼちぼちなのよ」
「お大事にしてくださいね」
 祐子は高校時代よくこの家に遊びに来ていた頃から沙也加の母親は体調を崩したので、祐子は母親の体を気づかっていた。
「ねえ、祐子、私の部屋においでよ。かわいい仔犬を見せてあげるから」
 沙也加に誘われて祐子は二階へ上がった。光チャンは祐子を見て少し怖がって隠れてしまった。沙也加が呼ぶと大喜びして尻尾を振って近づいて来た。
 祐子は光チャンを眺めて、
「わあー、かわいいね。毛が黄金でキラキラ輝いてる……光チャン始めまして、祐子です」
 と言いながら、優しく頭を撫でた。
 光チャンは祐子の優しさに安心したのか尻尾を振っていた。
「ねえ、ところで、こんな珍しいミニチュアダックスの仔犬どこで買ったの?」
 祐子は不思議な表情をして沙也加に訊ねた。
「買ったんじゃないの、拾ったのよ」
「えっ、拾ったの……どこで?」
「十日くらい前の豪雨の時、飛田新地の遊廓の前でよ」
 と言って、その時の状況を少し話した。
「十日前か……、飛田新地って新世界は近いよね?」
「うん、それがどうしたの?」
「沙也加、新聞見てない?」
「家で新聞とっていないから、見てないよ」
「そうか……実は、最近の新聞広告で見たんだけど光チャンにそっくりな仔犬が誘拐されたんだって、それで、仔犬は逃げて行方不明になってるんだって」
「えっ、誘拐されて行方不明」
 沙也加は驚いて半オクターブ高い声で言った。
「それがね、新世界での事件だったのよ」
「新世界で……」
「そうよ、もしかして……この仔犬がそうかもしれないよ」
「そんな……」
 沙也加は今にも泣き出しそうな表情になって呟いた。
「で、ね、見付けた人に礼金百万円をあげるって書いてあったわよ」
「百万円も……」

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第五章 その4
 ラッキーが誘拐された日から一週間が過ぎた。テレビのニュースも効果はなく、警察にはまったく目撃情報は入ってこなかった。警察官の中村と鈴木は誘拐犯を逮捕したことで役目は終わっていた。しかし、時間をつくってラッキーの捜査をしてくれていた。
 江美もお婆さんに変装して、どんべえと一緒に何度か新世界やあいりん地区周辺を捜査していたが、煙のように消えてしまったラッキーを捜し出すことはできなかった。
 大沢邸の奥さまは、ラッキーがいなくなってから寂しい日々を過ごしていた。しかし毎日、近所のかわいい子どもたちがラッキーを心配して訪ねてくれていた。子どもたちと話することが寂しさを紛らすせめてもの救いだった。
 夕方、仕事から帰って来た大沢は元気のない妻の姿を見て、
「純子、顔色が悪いなぁ、ほんま大丈夫か?」
「ええ……大丈夫よ。でも、ラッキーがどうしているか考えるだけで心が痛むんです」
「そうか、俺のせいでこんなことになって申し訳ない」
 大沢は初めて妻に頭をさげた。
 城田が逮捕されて参考人として警察に行ってから、人が変わったように優しくなってきていた。
 妻は慌てて、
「あなた、私が不注意で誘拐されたんですから、こちらこそ申し訳ございませんでした」
 主人の優しさに感激しながら謝った。
「なあ、純子。新聞広告にラッキーのこと載せようか、礼金を百万円くらいつけたら少しは効果あるんじゃあないかと思っているんだ」
「えっ、そこまで考えてくれているんですか?」
「うん。純子が俺の健康を願って買ったラッキーだから、俺も純子の誠意に応えたいんだ」
「あなた、ありがとうございます」
 妻は咽び泣きながら感謝した。
 二日後、四紙の大阪版の新聞に「仔犬を捜してください」のタイトルで行案内広告が載った。
 その広告を見た江美と里香は祈るような気持ちで情報を心待ちにしていた。礼金百万円の効果もあって、さまざまな情報が連絡窓口に寄せられた。
 しかし、残念ながら有力な情報は何ひとつなかった。
 江美は最後の望みをかけてどんべえに新世界やあいりん地区以外の周辺地域を捜査するように指示した。どんべえは早朝か夜遅くまで毎日、日課のように捜査に走り回っていた。
 ある日の夜八時頃、どんべえは悲しい顔をしてペットショップわんランドへ帰って来た。
 それを見た江美は、
「どんべえ、お疲れ様。あら、どうしたの元気ないじゃあないの?」
「クン・クン……ラッキーどこにいるのか全然わからないんだ」
「公園はもちろん回ってるわよね」
「ワン……公園を見付けたら隅々まで匂い嗅いてるんだよ」
「でも、わからないのね。ほんとおかしいわね」
「クン・クン……散歩に連れて行ってもらっていないのかなぁ」
「そうね、きっと散歩に行くこともあると思うんだけど……」
「ワン……そうだよねきっと散歩するよね」
「ねえ、どんべえ。大変だけどもうちょっと続けて捜査してね」
「ワン・ワン」
 江美は優しくどんべえの頭を撫でながら、好物のビーフジャーキーを口の中に入れてあげた。

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第五章 その3
「そうよ、最近は繁盛していて建物も綺麗になっているんだって」
「私、雑誌で見たことあるわ。エイズや性病の検査も厳しいって書いてあったわ」
 と、沙也加は大きな瞳を輝かせて言った。
「会社の先輩も言ってたわ、コンドームするから衛生的だって」
「ふーん、そしたらうつされる心配もないわね」
「そうよ、会社の先輩は安心して欲求不満を解消できるって喜んでいたわ」
「ふーん、男性に喜んでもらえる仕事なんだね」
 沙也加はこぼれるような笑を浮かべた。
 そんなことで、一年前から沙也加は飛田遊廓で働くようになった。
 今では稼ぎが良く、すでに借金は半分以上返済していた。しかし、こんな状況の生活だから、沙也加は仔犬を連れて帰って来たことを家族に言いにくかった。
 仔犬を飼うなんて、生活に余裕のある人たちのすることだと、うしろめたい気持ちもあったからだ。
 食事を済ませた仔犬は少し元気になって部屋をウロウロしながら「クン・クン」「ワン・ワン」と鳴いて、沙也加をハラハラさせた。
 しばらく考え込んだ沙也加はいつまでも仔犬を隠し通せる訳でもないと観念して、仔犬を抱いて階段を降りた。
「ねえ、お母さん、仔犬飼っていい?」
「あら、沙也加その仔犬どうしたの?」
「昨日、働きに行く途中で雨に濡れて死にそうになっているところをかわいそうだから助けてあげたの」
 沙也加はちょっとオーバーに言ったが嘘ではなかった。
「そうなの、沙也加が飼いたいなら、お母さんはいいですよ。ねえ、おばあちゃんもいいわね」
 横になっていた祖母に母親は訊ねると祖母は小さく頷いた。
 母親と祖母は沙也加が愚痴も言わず家族のために一生懸命に働いてくれることに心から感謝していたので、沙也加の好きなようにさせてあげたかった。
「沙也加、ちょっと仔犬だっこさせてよ」
 母親はこぼれるよな笑顔で仔犬を抱いた。
 沙也加はこんな笑顔の母親の顔を久しぶりに見て嬉しかった。
「わあー、すごくかわいい仔犬だわね……」
 母親は仔犬に頬ずりしながら嬉しそうに笑った。
「ねえ、お母さん、このわんチャンは雄なんだけど名前なんてつけようか?」
「そうね、こんなに毛がキラキラ光っているから……『光(こう)チャン』はどうかしら」
「『光チャン』か、いい名前だわ。じゃあ決定するね」
 沙也加は可愛く微笑んで、光チャン、光チャンと何度も仔犬に呼びかけた。光チャンは尻尾を振って大喜びしていた。

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第五章 その2
 沙也加はしばらく考えてから、
「キャバクラのお店をテレビで観たことあるんだけど、ホステスはお客さんに毎日五十通くらいメール交換しているらしいよ。それから、お客さんに口説かれることも多いそうだよ。私はとてもじゃないけどできないよ」
「沙也加、それは人気のあるホステスの話だよね」
「そうだけど、働いたらそれくらいしないと続かないのと違う?」
「そうね、沙也加が借金を返すまで二〜三年はかかるよね……」
 祐子は深刻な顔になった。
「でも……カラダを売ることならできると思うの」
「えっ、沙也加。大胆なこと言うわね」
「それだったら、あんまり会話しないでサービスだけしてたらいいじゃない」
「確かに、そうだけど……」
「それに私、セックスなら自信あるよ」
「沙也加はエロかわいいところあるけど、そんなに自信あるの?」
「うん。短大の時、付き合っていた彼のためにエロ雑誌でいろいろ勉強したの。そしたら、彼から床上手だって誉められたのよ」
「へえー、沙也加は床上手なの……」
 祐子は素直に感心しながら呟いた。
「だって、自分の力で大切なお母さんとおばあちゃんを安心させてあげたいの。今ならまだ若いしカラダを武器にできるんじゃない。借金済んだら普通の仕事に戻ったらいいことだし」
 女性が本気になって腹をくくれば男性より遥に大胆かも知れない。
 そんな沙也加を見つめながら祐子は、
「沙也加ほんとにそう思ってるの?」
「ええ、今の私にできることは、これしかないと思っているの」
 沙也加は大きな瞳を輝かせて答えた。
 そして、祐子に訊ねた。
「ねえ、カラダを武器にしてどこか安心して働けるところないかしら?」
「えっ、それは沙也加の方が詳しいんじゃないの?」
「スポーツ新聞に風俗の求人広告載っているの見たけど、なんかちゃらちゃらしてピンとこないのよね」
 沙也加は昔の吉原のようなきらびやかな遊女のイメージが頭の隅に残っていた。
 祐子はしばらく考えてから、
「私、会社の先輩に聞いた話なんだけど、飛田遊廓に若くてかわいい女の子が一杯いるって……」
「えっ、飛田遊廓。あの新世界の近くにある遊廓?」

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